酒癖悪美の酒の失態集

インドで3年働いた体験を盛大に盛りながら綴ります。

(14) バースデーゲロ

インドで転職面接が始まった。


そんなにインドがいやなら日本へさっさと帰れよという話なのだが

親の反対を押し切り、友人に盛大に見送られてこの国で働き始めた手前

半年で帰国するということは

どんぐりの様に低い私のプライドでも、どうしても許せなかった。



日本語教師として他の学校に転職するという選択肢もあったが、雇用契約書の中に

「雇用終了後、A社(私の勤める学校)が行う事業に関連する業界へインド国内転職した場合、給料24か月分の違約金を請求する。」という文言もあり、インド国内で日本語教師を続ける道は閉ざされていた。



(今思うと甚だおかしい)




日本語教師を夢見て大学時代に資格を取得したものの、志半ばにたった半年でその道を諦め

よくわからない在インド日系企業の面接を受け始めた。


そして、よくわからないのだが軒並み全ての会社で採用された。


この在インド日系企業という社会では、若くて愛想が良ければ

こちらが選好みしない限り、知性を問われること無く働き口が容易に見つかるらしい。



3,4社から採用通知を貰い、浮かれていた私は面接前夜に酒を飲みに出かけた。

その日は私の24歳の誕生日だった。


私の友人の同級生がインドで宿を経営しているということで紹介を受けていたため

外泊届けを提出し、その日はその宿に宿泊することにしていた。


その晩、旧市街の裏道にひっそりとあるその日本人宿で

10名以上の日本人旅行者と夕食を共にすることになった。


インドで起こるありとあらゆることに疲弊しきっていた私に反して

彼らはインドで起こる全ての出来事に興奮しきっていた。



スクーターで世界一周中の東京大学の学生にも出会った。


砂漠の真ん中でタイヤがパンクした話や、イスラム圏で野宿した話など


世界一周中、泊まる宿泊まる宿で出会った日本人に語り尽くしてきた武勇伝を一通り披露した後、


「スクーターに乗りながらマスクをしているんだけど、中国と比較してインドのほうがマスクが早く黒くなる、やっぱりインドはすごいや」


という話を目を輝かせながら皆に話していた。


何がすごいのだろう。それを大気汚染と言うのではないか。私は彼の肺とインドでおかしくなった知性が心配でたまらなかった。



だが、「世界一周中の東大生」が認めた「インド」に

今この瞬間存在している自分自身に、旅人達は酔いしれながら、彼の軽快な語り口調に夢中になって聞きいっていた。



そこに宿泊する日本人は、色とりどりのターバンやスカーフを身につけていた。


髪をドレッドの様に編んだり、二の腕にヘナで描いたタトゥーを露出するタンクトップを着たり

浮浪者が着るようなボロボロのカーキー色したTシャツを誇らしげに着たりしていた。



私のスカーフはとても中途半端でここでも色あせて見えた。



ふと、「一人旅ですか?」と聞かれた。


「インドで働いているんです」と応えた。


その瞬間、その場に居る全ての人間の注目が私に集まった。


「こいつは一体なんなんだ。」

「インドに人が住めるのか。」


好奇の目と、何から聞いたらいいか分からないけれども、何とかしてこの女に話をさせたいという顔が向けられた。


私の日常を話すと、彼らは嬉々として耳を傾けた。





私の日常(野良犬を撫でたり、鳩の交尾場所を提供したり、校長に言い寄られたり)が、彼らのご馳走になったようだ。


真剣に耳を傾けてくれるので、私も満更では無い顔で演説した。


きっと彼らは次の宿へ行き、自分の武勇伝の一環として「インドで出会った変な女」の話を、一山も二山も盛って、語るのだろう。


そこで私は、インド人と野良犬と3Pしたという話に書き換えられていてもおかしくない。




お金の無い私たちは、酒屋で買ったインド原産の安いウイスキーでひとしきり酔っ払った。


750ml5600円位のウイスキーは飲むと喉の奥で血の味がした。


22時ごろ、「明日は面接だから寝ないと」と思った頃には、頭をハンマーで何度も何度も殴られているような激痛がこめかみの辺りを占拠していた。


翌朝、ひどい二日酔いで目を覚ました。


面接会場へ向かう電車の中で、激しい吐き気が襲う。


「グッッフォ」一度喉まで来たものを飲み込むも、電車の揺れに耐えきれず持っていたビニール袋にゲロを勢いよく吐きだし、へなへなとその場に座り込んでしまった。


車内は騒然となった。


女性専用車両で急に外国人がゲロを吐いて、座り込んだのだ。


誰かが「エマージェンシー」とけたたましい声で叫び、純粋無垢なインド人女性は私に水やタオル、薬を差し出してくれた。


背中をさすりながら「大丈夫!!」と励ましてくれる。


「サンキュー。。。」と心もとない声でお礼を言うのだが、当の本人はゲロを吐いたからそれはそれはスッキリしていた。



インド人女性は殆ど酒を飲まない。彼女たちを、金曜終電の山手線にぶち込んだら、全員が訳もわからずマザーテレサになるだろう。


スーツを着た男達が、車内のあちらこちらで急にゲロを吐いて倒れたり寝たり泣き出したりするのだがら、新種の感染症とでも思うのだろうか。


日本では、電車でゲロを吐く奴=ゴミなのに。


次の駅で電車を降ろされると、車椅子を持った駅員が待機していた。


散々これまでインド人を馬鹿にしていたが、こんな連携プレーができる連中だとは思っていなかった。心底見直した瞬間だった。


大学時代、二日酔いで京都駅のホームで倒れ、駅員が駆け寄って来たときに

「すいません、、、二日酔いなんです。。」

と答えた時に、ゴミを見る様な目で睨まれた経験を生かし、ここでは順々な病人らしく車椅子に乗せられた。


救護室目前で、「Im getting better....

良くなってきたわ。」


と、頼りなく立ち上がり、病院へ連れて行かれる前にその場から逃げ出した。


面接を受ける会社に到着し、トイレで2回用を(ゲロ)を足してから面接を受け、運良く採用された。


運が回り始めているのを感じた。


(13)監視されている

授業が終わると、校長から「転職活動しているね?」と声をかけられた。

何故こいつはそんなことまでお見通しなのだ。エスパーなのか。



社宅の鍵はこいつも持っている。

私の授業中、無断で侵入されることも想定して

転職活動に関する証拠は全て鍵をかけてクローゼットに入れている筈だ。


こいつはまさかクローゼットの鍵まで持っているのか。


それとも私の個人PCを勝手に盗み見しているのか。


その日は家に帰り、PC本体のロック、Gmail,Facebook,TwitterありとあらゆるSNSのパスワードを変更した。



数日後、社宅のWifi接続が急に不安定になった。繋がったり、途切れたりを繰り返す。


家にテレビは無かった。インターネットだけが門限7時の私にとって唯一の娯楽だった。


2,3日は日本から持ってきた本を読んで過したが、夜寝る前にどうしても家族や友達と連絡が取りたくなる。


4,5日して読む本が無くなると、「無」が訪れた。

幸い私の住んでいた社宅の窓には鉄格子がかかっていたため

なんだか自分は本当に悪いことをして、ここに連れて来られた様な錯覚に陥った。


社宅に帰るのが憂鬱でたまらなかったが、夜7時に帰ることが義務付けられているため

帰るしかなかった。


社宅の扉を開けると待っているのは「孤独」しかない。


ため息をつきながら、ドアをあけると私のベッドの上で2匹の鳩が交尾をしている光景が

視界に飛び込んできた。


夢中で互いの体をこすり合わせながら、飛んでは落ち、飛んでは落ちを繰り返しながら

私のベッドの上で羽根を振り乱しながらバウンドを繰り返している。


どうしようもない怒りが腹の底からこみ上げてきた。


私はこれからこの鉄格子の中で朝まで無の時間をやり過ごすというのに

この小汚い鳩たちは、一人で寝るにはあまりにも大きすぎるキングサイズベッドの楽しみを

私より先に享受しているというのか。



血相を変えて、近くにあった箒を振り回しながら

「でていけえええ!!」と雄たけびを上げながら鳩に襲い掛かる。


その状況が逆に鳩を燃え上がらせてしまったようで、先ほどより激しくバウンドを始めたかと思うと

急に2匹が静止した。


終わりが近かったようだ・・・



あんなに燃え上がっていたというのに、冷静になった雄鳩は身なりを整えて

最後に「ぺっ」と灰色のクソをして飛び立っていった。


気まずそうに私に一瞥をくれると、雌鳩も雄を追って飛び立って行った。


鳩も人間も終わると冷静になるというのは同じらしいが、鳩は絶頂の後にクソをするという事実は初見だった。


涙ぐみながら、ベッドシーツを新しいものに交換したが

ベッドを汚されたことよりも、鳩に先を越されたことが屈辱的で耐えられなかった。


酒のストックが無くなった最近は、腰を振り回すゲームをノンアルコールで楽しめるようになっていたのに。




翌朝、耐え切れずに校長のところへ相談しに行った。

社宅で契約しているWIFIの調子が悪いので、業者に確認してほしいと依頼した。


夕方、校長に呼ばれた。

そこには使用しているデータ容量と、無数のURLの羅列が載った紙だった。


校長から、私がネットを使いすぎていることを指摘された。


そして、「こんなサイト見ているんだね」と言われた。


無数のURLの羅列=私が今月閲覧したサイトのURL だったのだ。


契約者がプロバイダーに問い合わせると、閲覧履歴を公開することなんて知らなかったし

確認できるのなら社宅のWifiを使って、辞表の書き方なんて調べたりしなかった。



勿論そこには転職サイトも含まれていたし、勝手に上司に見られたら60%位の人間が死にたくなるサイトも含まれていた。


心の中で「殺す殺す殺す」と呟いていた。


こいつはいくつ私の弱みを握れば気が済むというのか。

そして、一体いつからこいつは私の履歴を確認していたのか。



一刻も早くこいつの元から逃げ出さないと大変なことになるとあせり始めた。


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(12)酒癖悪美の宿敵現わる

一刻も早くこの学校から脱出したい私は

辞表を出した日から、転職活動を水面下で開始していた。

 

知人のツテを辿り、インドにある日系転職エージェントの担当者を紹介してもらい

スターバックスで面談をしてもらうことが決まっていた。

 

14連勤明けの私にとっては、スターバックス=ディズニーランドと同格だ。

 

 

指定されたスターバックスがあるショッピングモールは、私の住んでいる所からかなり離れていた。

行き方を調べると、1時間メトロを乗り継ぎ、更にメトロを降りてからリキシャで15分移動しなければならないことが発覚した。

 

ディズニーランドには開園前にスタンバイしておくのが常識だ。

約束の時間の3時間前には家を出ることにした。

 

翌朝待ち切れない私は4時間前には家を出た。

 

予定通りメトロを乗継ぎ、最寄り駅に到着したところでリキシャドライバーと料金交渉を試みたが

私の住んでいる田舎町と都会では勝手が違う様で、恐ろしく高い値段を提示された。

 

私はこの後久しぶりのスターバックスで思いっきり楽しむのだ。

こんなところでお金を無駄にすることは出来ない。

 

リキシャではなく、他の方法でショッピングモールに辿り着く方法を探し始めた。

 

 

すると、リキシャ乗り場から少し離れた場所で、

茶色く、サビついているバスから男が身を乗り出して、

私の行きたいショッピングモールの名前を大声で連呼していることに気づく。

 

急いで駈け寄り、ヒンディー語で幾ら?と尋ねる。

すると男は「パンチ ルピー」と言った。

 

パーンチ!!!

5ルピーだ!!!!

 

あいにく10ルピーしか持っていなかったため、「お釣りをくれ」と10ルピーを差し出したが、今はないから後ほど払うという様なヒンディー語を言っている。

 

「チェンジ!レーター!お釣り!後でね!」と念押しして一目散に薄汚いバンに乗り込むが

車内の様子がおかしいことに気づく。

 

鼻をえぐるような得体の知れないニオイが充満している。

真っ黒で痩せ細ったインド人10名程の鋭い眼光が一斉に私に注がれた。

 

子どもが2,3人は入る様な白い麻の袋を2つ背負っている老人と老婆

鼻ピアスを両鼻にした殆ど裸の子どもを抱く婦人

ゴミ掃除が着るユニフォームを着た集団

 

1日1ドル以下の生活を送るインド人オールスター感謝祭へ迷い込んでしまったのだろうか。

 

いや、よく考えたら私も最近はめっきり1日1ドル以下の生活を送っているではないか。同じ穴のムジナ、怖がることはない。

 

スカーフで顔を隠して俯き、鼻をつまみながら

ただこのバスが1秒でも早くショッピングモールに到着するの祈っていた。

 

ショッピングモールが近づき、まだお釣りをもらっていない事に気が付いた。

殆ど満員になっている車内を掻い潜り急いで先ほどの男のところに駆け寄る。

 

私「お釣りを返してください」

男「gんs;rhぎおれhqgr」j!(ヒンディー語で喚く)」

私「マネー!!!!パーンチルピー!!!マネー!!!金返せ!!!!」こちらも負けじと喚く

男「iOSdphぎおjgj」qpkgq@lgじょdsw!!!!!!!!」更に強めにヒンディー語で喚く

 

このやり取りを傍観していた少しだけ英語の話せるゴミ拾いの青年が近寄って来て、私に教えてくれたのだ。

 

青年「彼はお金を持っていません。彼は車掌ではありません。」と。

 

どうやら私はただの乗客に「金を返せ!」と突然因縁をつけて騒ぎ立てていた様だ。

 

逆の立場だったら恐怖である。

日本でバスに乗っている時、日本語がわからない外国人が突然現れて

金を返せと喚くのだ。

 

だが、1日1ドルのオールスター達はあまりにも姿形が似ていて、区別がつかなかったのだ。

仕方ない。

 

車掌はそのやり取りをニヤニヤとしながら見守っていた。

 

 

 

何はともあれバスは到着した。しかし、到着した場所は正面玄関ではなく

ショッピングモールの業者専用の入口だった。

 

どうやらメイドを乗せたバスに乗り込んでいたらしい。

 

メイドに日本人の恐怖を植え付けたところで別れを告げ、

彼らはゴミの分別へ、私は約束の時間2時間半前にスタバに着席した。

 

 

 

スタバを指定してくる様な担当者なのでさぞかしやり手なのだろうと

要らぬ妄想をしながら、普段の食事代の20倍はするマフインとフラペチーノを楽しんだ。

 

担当者は時間より少し前に現れた。

 

スターバックスが似合う若くてキレイな女だった。

後に意気投合し、チャイニーズマフィアとの死闘を見守った友人Nだ。

 

若くてキレイな女に会うとやっぱり自分の巻いているスカーフが恥ずかしくなるのだが

外すタイミングを逃してしまい、恐るおそる自己紹介をはじめた。

 

女はふんふんと話を聞きながら、ちょうどいいタイミングで質問を挟んできたりして、ヤリ手だった。

 

そして最後に女が「私、あなたと1才しか年が変わらないんです」と申し出てくれたおかげで

すっかり私は心を許してしまい、その夜に馴れ馴れしく「お酒を飲みにいきましょう」とメールを送っていた。

 

数週間後、女との初めて飲み会をするのだが、その女は私と同じくらい恐ろしく酒癖が悪かった。

 

私はインドで最高の仲間を見つけてしまったのだ。

 

 

 

 

(11)それでも真面目に働くハレンチな日本語教師

前回公式にハレンチであることが認められ、それを裏付ける文章が日英共に存在することになった私は、借りて来た猫のように大人しくなった。

 

ハレンチのテキスト化以来静寂を守っていた私に対して、校長は掌を返した様に優しくなった。

 

退職を滞りなく進めるために、後任者を探し始めているので安心して授業に取り組む様に説明を受けた。

 

これまで全く書く機会がなかったが、私は結構真面目に働いていて生徒からの信頼もそこそこ得ていた。

 

主に担当してたクラスでは日本語能力試験N5レベルで85%の生徒を合格させた。

 

N5とは英検4級、漢検5級くらいのあってもなくても人間的な価値は然程上がらないレベルなのだが。

 

 

 

 

 

クラスには大概優秀な生徒がいる。

 

ロヒットさんは大変飲み込みが早く、導入した文法を使い器用に文章を作り

宿題も真面目にこなし、テストもいつも高得点を維持していた。

 

そんな彼も、入学して最初のテストでは

「何が好きですか。」という質問に対して

 

「わたしは まんこが すきです」

 

と回答してしまい、採点しながら私をグフグフ笑わせてしまった学生だ。

その時私は、彼の意図を汲みとり、「マンゴー」と訂正し、マイナス2点した。

 

 

 

本日の授業、みんなの日本語第19課 「〜たり、〜たりします」という文法導入時

応用編として「日本へ行って何をしたいですか?」という質問に対して

学生たちに自由に文章を考えさせたときのことだった。

 

なかなか上手く文章を組み立てられない学生が多い中、いの一番にロヒットさんが挙手した。

 

私「ロヒットさん、日本へ行って何をしたいですか。」

 

ロヒット「はい、先生。私は、日本へ行ってお酒を飲みに行ったり、彼女を作ったり、子どもを作ったりしたいです。」

 

と答えたのだ。

「わたしは まんこが すきです。」でマイナス2点をしてしまったのは採点ミスだったことに気づく。

 

どこから突っ込んでいいのか、私はわからなかった。

 

だが、教師として、丁寧に「〜たり、〜たり」文法は順序ではない、この場合は「私は、日本へ行って、お酒を飲みに行って、彼女を作って、子どもを作りたいです。」が適当であると説明した。

 

(それら全てのアクションを平行して実行したいのなら、話は別だが)

 

女としては、子どもを作る前に籍を入れたりして欲しいのだが、説明するのもめんどくさかったので口を噤んだ。

 

躊躇ったが、学生は男性のみだったため、例に漏れず文章を全員に朗読させた。

 

私「私は、日本へ行って、お酒を飲みに行って、彼女を作って、子どもを作りたいです。ハイ!」

 

学生が復唱する。

「私は、日本へ行って、お酒を飲みに行って、彼女を作って、子どもを作りたいです!!!!!」

 

いつも声が小さい学生も、大きな口を開けて声高らかに叫んでいた。

 

ハレンチの教え子がハレンチになるのは仕方のない事なのかもしれない。

 

彼の日本語学習に対する飽くなき探究心の根源を垣間見ることができた1日だった。

 

 

 

 

ロヒットとの思い出は、もう一つある。

 

ロヒットはいつも靴下を履いていなかった。どんなに寒い日でも裸足にサンダルを履いていた。

 

その日は、予定していた内容が早めに終わったのでゲームをした。

 

学生の中から一人を選び、選ばれた学生がまた別の学生について日本語で説明して

全員で誰のことを説明しているか当てるゲームだ。

 

選ばれた学生ジーテンドラさんは、私にだけ「ロヒットさんについて説明します」と告げ、説明を始めた。

 

ジーテンドラ「彼は髪が短いです。」

ジーテンドラ「彼は白い服を着ています。」

ジーテンドラ「彼はメガネをかけています。」

 

クラスの中で4名まで絞られた。

 

ジーテンドラ「彼は下着を脱いでいます。」

 

ジーテンドラは、「靴下を脱いでいます」と言いたかったのだが

アンダーウェアとソックスを間違えて記憶していた様だ。

 

幸いにももう一人、同じ勘違いをしていた学生がいた様で

その学生は「わかりました!ロヒットです!」と答えた。

 

くすくすと笑いが起きていたが、誰よりも熱心に単語を覚えていたロヒットは、立ち上がり「靴下です!!」と訂正した。

 

まんこが好きで、子どもを作るために日本へ行きたいロヒットはノーパンの変態だということが判明した瞬間だった。

 

 

そんなこんなで、労働環境は最悪だったが、教室では生き生きと授業を担当していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(10)アナタは今まで、自分の発した下ネタがWordでテキスト化され、会議室で上司に見せられたことがありますか。

目の前に、角を揃えて規則正しく置かれた二枚の書類を前に

背筋が凍りつき、脇の下からジワリと汗が滴るのを感じた。

 

女の帰国から数日経過しても一向に返事が無い為、

辞表に関して催促のメールを出した翌日

退職について面談をしたいと、校長に会議室に呼ばれた。

 

会議室に着席すると間髪を容れず二枚の書類が差し出された。

 

一枚は英語、直ぐに内容は理解できなかった。

 

もう一枚は日本語、

 

「トライアルクラスでセックスを教えたら入学希望者が増えるのでは無いか。」という提案を受けた。

 

明朝体の文章が目に飛び込んだ。

 

どうやら、日英対になっていてもう一枚の書類では「トライアルクラスでセックスを教えたら入学希望者が増えるのでは無いか。」がご丁寧に英語化されている様だ。

 

それ以外にも、私がこの数ヶ月間で発した軽口が

親切に日付と時間付きで全てテキスト化されていた。

 

身から出た錆とはこのことか。

健全な日中の校舎で改めて突きつけられたその「提案」は、本当に下品で目を覆いたくなるものだった。

 

血の気が引くのを感じ、一瞬意識が遠のいた。

 

 

人生で一度だけ気を失ったことがあるのだが、その時に似た感覚だった。

 

16歳の時。

動物看護師になりたい友人に付き添い、動物看護専門学校オープンキャンパスに参加したときのこと。

 

犬の診療見学、トリミング見学が終わり、最後にチワワの睾丸摘出手術の見学に案内された。

 

「たまに気分が悪くなる方がいますが、遠慮せず申し出てください。」案内人よりそう告げられて、手術が始まった。

 

先程まで元気に走り回っていたチワワが、茹でガエルの如く引っ繰り返り金タマがえぐり取られて行く。

 

不調を申し出る余裕もなく私は意識を失い、次の瞬間

手術室で引っ繰り返る茹でガエルは2匹になった。

 

 

そんなどうでも良いことを思い出しながら、校長が主張を始めた。

 

「この数ヶ月間、あなたから様々な性的発言を受けていて、自分は誘われていると思った。

その好意に応えるため、告白をしたのであって、自分に一切非は無い。」

 

という様な、内容だったが詳しくは覚えていない。

 

色を失っていた私の頬は、全身の血液が顔面に流れ込んだ様に真っ赤になった。

 

今思えば、書類を細かく確認して

「この発言をしたのは、話題の中であなたが先にこういう発言をしたから。」と

自分を擁護して書類の正当性を否定することは容易だったが

 

当時の私は、恥ずかしくて、情けなくて、テキスト化された自分の愚行全てに目を通すことができず、俯いてしまった。

 

あんなに純粋な目をして20歳も年が離れた部下に「好きになってしまった」と言っていた男が

裏では自分を守るための証拠を記録していた、何とも狡猾な人間だったのだ。

 

 

「ボスに求愛されている為、退職したい」という私の主張は真っ向から否定され

退職理由は自己都合の無責任な退職として扱われることになった。

 

 

絶対に世に出して欲しくない書類を握られてしまった私は

この男の仕掛けた罠に堕ちていった。

 

 

(9)マンコ=心

魔女裁判後、数日が経過し、校長と私の関係性は最悪だった。

 

一刻も早くこの環境から逃げ出したかったのだが、

心底嫌い女が退職することになったと会議で伝えられた。

 

どういう経緯かは知らないが、二人はいつの間にか別れて

女はいつの間にか退職する手筈が整えられていた。

 

そして私の辞表などなかったかのように話が進められ

私は女の送別会の幹事を任された。

 

送別会のビラを作成し、授業後には送別会の宣伝をするよう命じられた。

社会人になってから、一番やりたくない仕事だったが「次は自分だ」とうわ言のように呟きながら事を進めた。

 

送別会には70人以上のインド人が集まり、軽食を食べながら

女との思い出の写真上映などをした。

 

次は、各クラスから一番日本語が上手な学生を選抜して

2名が女へ感謝の手紙を朗読する予定だった。

 

この為に、学生の書いた意味不明な文章をなんとか汲み取り

女に伝わるように8割私が書き直し、授業終了後に暗記練習に付き合ったのだ。

 

それなのに、よりによって2名とも遅刻しているのだ。

 

無情にも写真上映は終わり、私はおずおずと司会者として前に立ち

 

「つぎは 〇〇先生(女)に ありがとう の 手がみを 読む 時間 です。

 でも、手がみを 読む クマールさんと プリヤンカさん は 来ませんでした。

 それでは、〇〇先生。 さいご の あいさつ を おねがいします。」

 

学生にわかる簡単な日本語で、この断じて許容すべきではない状況をとても分かりやく説明した。

 

すると、授業中は殆ど口を開かない大人しい学生が、突如として私のマイクを奪い

「I will read poem (ポエムを詠みます)」と申し出たかと思うと

詩吟のようにヒンディー語を吟じ始めた。

 

本当に意味が分からなかったが、このあるまじき状況を彼なりに打破しようとしてくれたらしい。

 

彼の詩吟は10分程続いた。

予定通り事を運ばせることに命をかけている日本人としては、突然の詩吟は大変有難いことだった。

 

しかし彼のその行動は、世界一黙らせることが難しいインド人の心を揺さぶってしまった。

 

彼の詩吟が終わると、頼んでもいないのに男女4人が前に出て来て民謡を踊り始めたのだ。

 

民謡は10分以上続く。

 

70人のインド人は民謡には目もくれず、次に誰が何をするかという大論争を繰り広げていた。

この会はお別れ会であって、詩吟や民謡を披露する時間ではないのだが。

 

私は民謡を強制的に中断させ、会を滞りなく終わらせようと務めた。

 

然し、その後クラスで中心的な人物が、「どうしても最後にこの歌をみんなで歌いたい」と言うため、渋々受け入れた。

 

全員が輪になって手を繋ぎ、音楽が流れ始めた。

ヒンディー語だったので、適当に口パクでその場を乗り切ろとしていたのだが何度も何度も気になるフレーズが連呼されるのだ。

 

「チューか、 メレ マンコ! チューか、メレ マンコ!」

 

大人70名が生殖器の名前を大声で連呼しているのだ。

社会人になったら生殖器の名前を言ってはいけない筈だったのに。

 

ちなみに、ヒンディー語

チューカ=触って

メレ=私の

 

あとはご察しの通りだ。

 

その後、遅刻した2名の学生が悪びれる様子もなく会場に到着し

制止する私を振り切り、練習した手紙の朗読を開始したため

30分で終わる予定だった会は、1時間延長して終了した。

 

(8)チャイニーズマフィアとジャパニーズ売春婦

このブログの本来の目的は私の酒の失態を綴る事だと思い出した。

今回は親や旦那が読んだら悲しむ内容になるだろう。

 

(7)欲望のダムが崩壊し、翌日私は校長に辞表を提出した。

理由は至ってシンプル、「ボスに求愛されている環境で就業を続けて行くことは困難。私にその気はありません。」

 

ボスは神妙な面持ちで辞表を受け取り、来週面談をしようと言い残し部屋を出ていった。

 

ついに解放までのカウントダウンが始まるが、実際はここからが長く険しい道となる。そんな事とは露知らず今週の私は有頂天だった。

 

今週、友人Sが日本から遊びに来るビッグイベントを控えていた。

最近同年代の友人Nもでき(彼女については後日説明する)

3人で注目のクラブへ行くことが決まっていた。

 

心底女の浮気以来、社宅の門限はあって無いようなものになっており

その日も外出届を提出したものの、21時までに帰宅する気などさらさら無かった。

 

女3人でインドのクラブで酒を飲み、隣の席のターバンを巻いたインド人にくだらない手品を見せられ

 

酒を奢られ、阿呆の顔して上げた歓声が音楽に掻き消される状況を恍惚とした表情で受け入れていた。

 

先に言い訳しておくと、その日自分の周りで繰り広げられる出来事全てが、本当に久し振りで尊いものだったのだ。

 

そんな浮ついた心を感じ取ったのか、本来であれば「すみません、ちょっと・・・」と拒絶したくなる顔面をした30代の中国人2人組が声をかけて来た。

 

小さくて目が飛び出た色黒の中国人と、背が高く色白のメガネをかけた中国人だ。 

 

中国で貿易会社に勤めていて、今回インドのパートナー選定のため

視察出張に来ているという。

 

背が高く色白のメガネをかけた中国人と意気投合して、3杯ほどテキーラを奢ってもらった。

 

次の記憶で、どうやら私はトイレの前で中国人とディープキスをしている。

 

友人2人は帰ろうとしているのだが、私は中国人と携帯番号を交換している。

 

見かねた友人は私を外に引きずり出し、車に詰め込んだ。

その時に私は野良犬を撫で回している。インドの野良犬の3割は狂犬病らしい。

 

つくずく節操が無い女なのだ。

 

Nに家に送ってもらったのだが、0時を回っていた。

Sと社宅に入り、明日の旅行に向けて消灯したのだが、

「ヴー、ヴー、ヴー」中国人からのメールが来ているのに気づいた。

それも2、3件なんて生易しいものではなく、20件くらい来ていたのだ。

 

どうやら酔っ払った私は、「〇〇駅のすぐ近くに住んでいる。〇〇という店のすぐ裏」と簡単に住所を特定できる情報を教えてしまっていたのだ。

 

「今どこ?」「家の近くにいる」「家が分かったよ。到着した。」「会いたい」「外に出て来て」「話すだけでいいから」「顔を見たらすぐに帰るから」という内容だった。

 

今ならば、「顔を見たらすぐに帰るから」など、「先っぽだけ入れていい?」と同格の空事だとわかるのだが

 

あの時は、長らく社交界から遠のいていたせいか

 

「こんな遠くまで来させてしまった。申し訳ないから、顔だけ見せて帰ってもらおう。」

 

という結論に至ってしまった。

 

社宅と言っても3階建の民家なのだが

他にも10軒程の民家が行き止まりの私道周辺を取り囲む様に建ち並んでいて

私道の入り口には大きな門と痩せこけた門番と犬が立っていた。

それが一つのソサエティーだった。

 

そしてその門の外に中国人が待っていた。

 

門の中から「来てくれてありがとう!今日は楽しかった!じゃあ、また。」と声をかけた。

中国人は何かのプレイだと勘違いしただろうが、当時の私は純粋にそれだけで帰ってくれると信じ切っていた。

 

中国語で多分ものすごく汚い言葉で喚き始めた。

 

痩せこけた門番はヒンディー語で私に何か問いかけているのだが

私は怖くなってそのまま社宅に逃げ込んだ。

 

翌朝、友人と旅行へ行く準備をしてると

激昂した校長から「昨晩何があった」と電話がかかって来た。

 

どうやら、昨晩中国人は賄賂を渡して門を突破し

私の社宅のチャイムを鳴らしたらしい。

 

私の社宅は1階と2階に大家とその子供が住んでいるのだが

夜中の1時に鳴らしまくったチャイムは、大家の方だった。

 

飛び起きた大家は、怒り狂った中国人にこう言われたそうだ

「お前のところの日本人売春婦に金を払った!まだサービスを受けていない!」

と。

 

(金をもらった記憶はない。テキーラは飲んだが、厚かましいやつだ)

 

大家は「ここに売春婦など住まわせていない。警察を呼ぶぞ!帰れ!!」と激怒する。

 

中国人は大声を上げて喚き散らしたため、1階に住む住人の何人かが起きて状況を確認しにきた。

 

インド人複数名に取り囲まれ、中国人はようやく状況を理解して逃げ帰ったそうだ。

 

日が昇るのを待って、大家はその一部始終を社長に報告したのだ。

 

今回の件は全て私が悪い。心底反省し、己の弱さと酒の招いた失態を悔やんだ。

 

翌日ソサエティーで緊急集会が開かれた。

議題は「この閑静なソサエティーで日本人が治安を脅かしている」という内容だ。

 

話は大きく膨れ上がり、私がチャイニーズマフィアの手引きをしていると主張する夫人も現れた。

 

閑静なソサエティーは一晩で中世ヨーロッパの魔女狩りへと様変わりした。

 

インドの治安が悪いという話はよく聞くが、日本人がインドの治安を悪化させているという話は初耳だった。私が悪いのだが。

 

私の前任者、淫乱教師もベランダで青姦して喘ぎ声が大きすぎて住民が外に確認しにくる騒ぎを起こしてる。

そしてその後任がジャパニーズ売春婦ときたら、それは日本人に対して最悪の印象を持つだろう。

 

一刻も早くインドから立ち去りたかった。