(18)払わなくて良い小切手などこの世に存在しない
退職までのカウントダウンが始まった。
能面と男性教師(パンチパーマ)は学生に嫌われながら私の授業を引き継いでいた。
半年間で3回も担当教師が代わるなんて、インド人が不憫でならない。
半年前に私が赴任してきたときは、「あの先生は何を言っているかわからない」と校長室にクレームを入れにいっていた連中が、今度は能面やパンチパーマが何を言っているかわからないとクレームを入れていた。歴史は繰り替えす。
特にトシャールという学生は私のことを慕ってくれていたので、悲しみもひとしおだった。。
レッスン1から私が受け持ったクラスの学生で、あいうえおの読み方から教えた。
会話クラブで、相手の話にびっくりしたとき英語では「Really?」と言うが日本語では何と言うのかと聞かれたので、「うそーん!!」と言う事を教えたため、授業中もことあるごとに「うそーん!」と連呼するかわいい奴だった。
例文を作るときも、兎に角私を笑わせることに命をかけていて、
「~たいです、たくないです。Want to、don't want to.」を教えたときも
「消しゴムを食べたくないです」とか、意味不明な例文を作り私をニヤニヤさせた。
兎に角私の笑いのツボを心得ていた。
トシャールのせいで、私が笑いのツボに入ってしまい何度も授業が中断された。
だが、私の誕生日には「誕生日おめでとうございます」と教えていない日本語を調べて祝ってきたり、バレンタインには香水をプレゼントしたりしてきた。彼が私に対して好意を持っていることはわかっていた。
能面がトシャールの授業を担当し、私が見学に入るようになると、私の前に座り何度も何度も「先生、どうして座っていますか?先生、どうして?日本へ帰りますか?」と懇願するように聞いてきた。
心がえぐられるように痛んだ。
トシャールはインドの有名な大学の学生で、日系企業に入って、日本へ赴任することを目標にしていた。
日本の文化を愛していて、いつか日本に住むことが夢だったが、留学するお金は無いので仕事で夢を実現しようとしていた。
彼以外の学生も大変熱心で日本語に一生懸命だった。
彼らの指導を放り出して学校を辞めてしまう自分がとても情けなかった。
でもそんなことよりも、何度も言うが、一刻も早くこの学校から逃げ出したかった。
退職日の1週間前、校長に呼び出され、小切手を持ってくるように言われた。
半年間という短い時間であったが、生徒と信頼関係を築き、学校の発展に貢献してくれたことに心から感謝している、
これまでコミュニケーションミスで色々と勘違いはあったが、これからも良い友人で居たいと御礼を言われた。
そして、契約期間内の自己都合退職は違反になるので、前例を作らないためにも
違約金を支払ったという証拠を形だけ残してほしいといわれた。
「契約書の内容が守られないと、全てが無意味になり、秩序が無くなってしまう。他の先生が無責任に辞めてしまうと、生徒がかわいそうだろう」と指摘された。
加えて、私が支払わなくても請求することは無いし、例え支払ってもらったとしても全額返金するといわれた。
校長「それでは、小切手にサインをしてくれ」と8万ルピー(16万円)7枚と4万ルピー(8万円)1枚、計8枚60万ルピー(120万円)の小切手にサインするよう促してきた。
小切手の支払期日も私の新しい会社の給料日に合わせて、8ヵ月後に完了するように毎月末日を指定してきた。
少し違和感を感じつつも、大切な生徒を残して退職してしまう罪悪感が思考を鈍らせ、社長の謝罪を信じた。
世間知らずで無知な私はその校長の発言を一切証拠に残さなかった。
今思えば本当に阿呆でマヌケで子供じみた判断だった。
帰国するとき、私には何も無かった。
一方、校長には私の下ネタドキュメントと恥ずかしい検索履歴と120万円の小切手があった。
最終日、校長は空港まで車で私を送ってくれた。
そこでもまた、「君と一緒に居るのは本当に楽しかった。ずっと友達で居よう」と言われた。
色々あったけど、無事に転職先も決まり、ここで働いたことも良い思い出だったと思い、後腐れなく別れを告げた。
空港でフライトを待っていると、Facebookにメッセージが届いた。
トシャールからだった。
「せんせい、せっくすしたいです。」という内容だった。
こんな奴に心を痛めていた自分を恥じた。
インド人とはやっぱり一生分かり合えないのだと心を凍らせた。