(17)躁鬱病の能面
後任教師の赴任日が決まった。
後任は20代後半の男であったため、もうこの校長の「日本人女性とまぐわりたい欲望」の
犠牲者が増えないことに胸を撫で下ろしていた。
然し、男性新人教師の赴任日の報告と一緒に、
もう一名女性の採用報告を受けた。
他の従業員へは何の相談もなしに、一気に2名採用を決めたのだ。
私はその女性が醜いことを切に祈ったが、履歴書を見てため息をついた。
28歳、美人。次の犠牲者が確定した。
挙句の果てに「スカイプ面接したけど胸が大きかった。Fくらいあるかもしれない」と
鼻の下を伸ばしながら私に報告してきた。
先日薬を盛って抱こうとした女に向かって、スカイプ画面上で相手のカップ数を透視することができる能力を
暴露したこのインド人は本当に救いようがない。
(この発言をドキュメント化してやればよかった。)
ただ、このインド人に兎に角関わりたくない私は、正義感をグッと飲み込み
彼女を次の生贄に捧げることにした。
校長の元カノである心底嫌い女とはなんだかんだまじめに交際していたし、
この美人は、若しかしたら校長の運命の人かもしれないし。
私の知らない所で良しなにやってもらおう。
美女のVISAは順調に取得が進み、男性教師と同じ日に赴任が決まった。
長時間のフライトを経て、深夜1時頃にうちにやってきた美女は
写真ほどではないものの、そこそこ可愛かったが一切表情というものが無かった。
加えて、致命的に無口だった。
私が「疲れたでしょう」とか「インドは想像より寒いでしょう」とか
初対面の相手に安心感を与える精一杯の笑顔で話しかけたが、美女は小さい声で「ええ」としか応えなかった。
会話のキャッチボールを拒否された私は、余程フライトが疲れたのだろうと思い
その日は社宅の使い方と明日の出勤時間を説明して就寝した。
翌朝美女に朝食を食べるかと誘ったが「いいえ」と断られた。これが初めての「ええ」以外の会話だった。2文字が3文字になったので少し進歩。
出勤中に「どうしてインドに来ようと思ったんですか」という至極当たり前の質問をしたが
女は「色々あって」とだけ答えてそっぽを向いてしまった。
自らの意思でインドに来る奴なんて、私のように相当自己顕示欲が強いか
日本で相当色々あって逃げてきた奴に限られる。
この女は後者だった。
そして、どうやら校長から何か吹き込まれていて、出会う前から私のことが嫌いみたいだ。極端に避けられているのを感じた。
学校では「会話クラブ」なるものがあり、
日本語レベル問わず先生と会話したい生徒が集まる自由時間を設定していた。
初日ということで、男性教師と美女に今日は会話クラブを担当させた。
日本で色々あってインドに来ざるを得なかった人間が、
殆どコミュニケーションのとれない外国人の日本語を汲み取り
楽しませることはできるのかと不安に思っていたが
そこそこ普通のテンションで生徒と会話を楽しんでいたことは予想外だった。
然し、余程疲れたらしく30分の会話クラブが終わると
能面が100年ぶりに笑った様な引きつった顔で口角を上げたまま職員室に帰ってくると
30分ほど一言も発することなく遠くを見ながら紅茶を啜り続け、ゆっくりと口角を元の位置へ戻していた。
30分後に「疲れた。。。」とつぶやき、元の能面へ逆戻りした。
夜は、私のお気に入りの屋台へ連れて行き、一緒にチャパティを食べて
少し高感度を上げることに成功したが、社宅に戻ると自室の扉をピシャリと閉めてしまった。
翌日、女には私の授業を見学してもらう予定を組んでいた。
然し朝になっても、女は一向に自分の部屋から出てこない。
出社時間になっても出てこない。流石におかしいと思い、ドアを何度もたたくが反応がない。
不安になり、校長に電話すると「今日は体調が悪いからお休みしたいと連絡があった」とのこと。
1日の勤務を終え、家に帰ると社宅は真っ暗で静まり返っていた。
誰も居ないのではと疑ったが、鍵は開いていたのでいるはずだ。
部屋から出た形跡が一切無く、不気味だった。
翌日も、朝になって声をかけても女は部屋から出てこないどころか、一切返事をしなかった。
赴任翌日に会話クラブに参加させたことが余程疲れたのか。
私は赴任直後、淫乱の後釜として3クラスを受け持ち、文句を言われながら授業を回していたことを思い出し、
甘えている能面を非難したかったが、ストレスの感じ方は人によって異なるのだと、グッと文句を飲み込んだ。
翌朝も、やっぱり女は出てこなかった。然し、女のドアに張り紙がしてあった。
「Don't Knock the door!!!」
ドアをノックするなだと???????
目を疑った。私は日本人だし、お前のルームサービス係りでもなんでもない。
夜私が寝静まったのを見計らい、のっそりと部屋から出てきて張り紙をしたと思うと、このコミュニケーション障害の能面に腹の虫が収まらない。
お構いなしに女の部屋をノックしてやった。「大丈夫???ねえねえ、なにこの張り紙???」本当に無神経。
然し、その日も何の反応も無かった。
校長も流石に3日連続欠勤を心配したのか、体調が悪いなら病院へ連れて行かなければならないから、と大量のフルーツやヨーグルトを購入して日中社宅へ尋ねに行った。
だが、案の定相手にされなかったようで、学校に戻ってきて「あの女は頭がおかしい」と悪態をついていた。あの女を採用したお前はもっと頭がおかしい、と頭の中で考えていた。
その夜もやっぱり、社宅はピシャリと静まり返っていたが鍵は空いていた。
川を埋め尽くすゴミ、河川敷に広がるスラム、縦横無尽に歩く牛、教室に入り込む猿。
初めてのインド生活は彼女にとってあまりにも衝撃的で
きっと明日には出てきて、「日本に帰ります」と言い出すのだろうと考えながら眠りについた。
然し翌朝目を覚ますと能面は社宅で育てている植物に水をやっていた。
3日間、私の声かけに一切応じず、「ドアをノックするな!!」という張り紙までしたことなど夢だったかと思う位、けろっとした顔をして
「おはようございます」と言い、私より早く学校へ出勤した。
この3日間、能面の中で何があったのかは知らないが
その後も日本人とは相変わらず必要最低限のコミュニケーションしか取らず
それなりに授業に取り組むようになった。きっと生理だったのだろうと思った。
後から仏陀から聞いた話だが、私が退職した数週間後に
もう一度生理(引篭り)が来たらしい。そのタイミングで退職したようだ。
この学校にやってくる全ての女は私含めて全員頭がおかしかった。