酒癖悪美の酒の失態集

インドで3年働いた体験を盛大に盛りながら綴ります。

(1)新宿 デリヘル アナル

新宿 デリヘル アナル

 

私は今結婚しているのだけれども

今の旦那以外に3人の男性から求婚されたことがある。

 

こうやって書くとなんだかすごいモテ女のように聞こえるのだけど

私がこれまで交際した人は総じて頭のネジが外れているので

人生で3回求婚されたことがあったとしても何の自慢にもなら無い

 

婚約破棄の話をブログにしたためようと思っていたが

その前に、私のこれまでの求婚エピソードを紹介したい。

 

一人目はご存知インド人の校長。

これまで散々こいつの話しはしてきたので特段詳しく言及する必要は無いのだが、

この校長は日本人と結婚して、日本国籍をとり

東京タワーの見えるマンションを購入するのが夢だった。

 

インド人が東京タワーの見えるマンションを購入することを夢見るなんて

なんともハートウォーミングな話なのだが、

その夢を叶えるツールとして利用するために

私は、これまで求愛されたり、薬を盛られたりして

その過程で「結婚したいと」言われたりしていたわけだ。

 

 

二人目は、大学時代の交際相手M。初めて求婚された相手だ。

Mは私のバイト先の店長だった。

 

Mは、仕事ができて、人望が厚く皆から好かれていた。

(と、当時の私は思っていた。)

 

私のバイト先は居酒屋なのに、まかないが無かった。

元々はまかないはあったのだが、私がバイトを始める数年前に料理長が代わり

その料理長が果てしなく恐ろしい人だったので、まかない文化がいつしか消えてしまったらしい。

 

そんな私たちを不憫に思って、Mはバイト終わり、その日のメンバーを引き連れて

すき家やマック、ラーメンをご馳走してくれることが頻繁にあった。

その為、金によって繋がれた深い絆が生まれていた。

 

ちなみに、料理長がどの位恐ろしいかというと、バイトを叱るときは

刃渡り30cm以上ある包丁を何度も何度もまな板に叩きつけながら激昂する。

調理場のベトナム人が、首元に包丁を突きつけられている所を何度もホールから目撃した。

 

一度、ピーク時に注文を間違えた私は、料理長に胸倉をつかまれ

マイナス20度のマグロも凍る冷凍庫に閉じ込められたこともあった。

内側から「出してください!」ドンドンドンドンと叩いていると

そこにMが颯爽と現れて、私を冷凍庫から救出してくれた。

 

そして、チェーン店だけでなく、休みの日には「勉強のため」と少しリッチな居酒屋に

バイトを数名連れて飲みに連れて行ってくれた。

その為、皆に良い様にたかられていた。

だが、当時の私はそれが果てしなくカッコよく思えた。

 

バイトを始めて1年くらい経過した頃、

交際がスタートした。

このあたりは特に面白くないので割愛。

 

付き合いが始まると、バイト先から自転車で5分のアパートに住む

私の部屋にMは居座るようになった。

 

当時Mは大型バイクで出勤していたのが

私たちの交際が周りに悟られないよう、

私のアパートに居座り始めてからも、自転車で5分の道のりを

大型バイクで出勤し続けていた。

 

ある日、最後まで店に残ったのが私とMだけになったので、

人目を気にせず一緒に帰ることになった。

 

バイト先の前の道は、急な坂道になっているので

私がダラダラと自転車を引いて歩いていると、

Mが「バイクで引っ張ってあげるよ。楽で良いでしょ」と提案してきた。

 

それは楽で良いなと思い、私は自転車に跨り片手でバイクの後部座席を掴み

時速10km位のスピードで坂道を上りきった。

 

坂道が終わってしまえば、後は平坦な道を300m程進めば私のアパートがある。

ちんたら私が自転車を漕いでいると

Mが「平坦な道も引っ張ってあげるよ。そしたら早く家に着けるよ」と提案してきた。

もう、300m先にアパートが見えているのでそんなに急ぐ必要も無いのだけど

私はまた、右手でバイクに捕まった。

調子に乗った私は「楽だね!イエーイ!」と声を上げた。

もっと調子に乗ったMは「どの位スピード出せるかな!」と

次の瞬間、グンッと一気にスピードを上げた。

 

急な加速に自転車のチェーンが耐え切れず「パーーーーン」と外れ、

パニックになった私は、バイクに捕まっている右手ではなく

自転車のハンドルを握っている左手を離してしまった。

 

自転車は無残に転がり置き去りにされ、バイクに捕まった私の体は空に浮かび上がった。。

 

ほんの一瞬の出来事だったが、空を飛んだ。「死ぬ」と思った。

急いでMはバイクを止め、私の体は道路に叩きつけられた。

 

「ごめんごめんごめん」と血だらけの私を家に運んだ。

肉が露になったひじを見ながら、Mは「責任取るよ。結婚しよう。」と口走っていた。

これが2回目の求婚。(求婚とカウントして良いのかは不明)

 

Mは間単にそういう大切な言葉を口走る浅はかな人間だった。

親の契約しているわたしのアパートに、Mが住み着いていることがバレて

「実家に帰って来い!」と激怒されたときも

「帰らなくて良いよ!俺がお前のこと一生面倒見るから!学費も俺が払うよ!」

と真剣に申し出てきた。

いやいや、お前、普通なら親に挨拶に行くと申し出ろよ、

ていうか先ず光熱費払えよ、と思ったが、純粋な私は何も言えず

一人で謝罪のために実家へ帰省した。

 

 

 

Mは恐ろしく寝る時間が遅かった。

サービス業なので昼夜逆転は仕方ないかもしれないが

私が、翌日1限があるので早く寝てしまっても

一人で3時や4時までネットサーフィンを楽しんでいた。

(私のパソコンで、私の光熱費で)

 

ある日、明け方5時ごろ物音で目覚めた私は、朝日をめいっぱい浴びながら

せっせと自慰に励んでいる猫背のMを目撃した。(私のパソコンで、私の光熱費で)

 

また、Mが東京出張を控えた別の日には、学校帰りにレポートを書こうとパソコンを立ち上げると

検索タブに「新宿 デリヘル アナル」と入力された履歴が残っていた。

新宿 デリヘル までは許せたのだが、アナルはどうしても許せなかった。

 

 

憧れだった店長は、たった数ヶ月で後先を考えられない盛った犬に成り下がった。

だが、引き続き仕事終わりのバイトへの餌付けで面目を保っていた。

 

2年間交際は続いた。

 

私はインドでインターンに参加するためにバイトをやめた。

この盛った犬をインドから拘束することはできないと判断し、一旦は交際を解消し

帰国後に、お互いまだ気持ちが残っていたら、よりを戻すことになった。

 

そして、8ヶ月間のインターンを終えてインド/フィリピンから帰国すると

Mは、バイト先の同期で私が一番仲の良かった友達と交際していた。

 

私のアパートはバイト先から西に5分、彼女のアパートは東に5

自転車で走った距離にあった。

 

8ヶ月間日本を離れても、日本は何も変わっていなかったが

唯一、Mの大型バイクだけが、西から東へ5分移動していた。

ヤドカリのような男だと思った。

 

インドで色々な世界を見てきた私にとって、この変化はどうしようもなくちっぽけに思えた。

 

何となく彼女とも気まずくなり

あんなに仲が良かったバイト先の集まりからも足が遠のいていった

 

そんなある日、元バイト先の後輩から、Mが店のお金を数百万横領して捕まったと聞かされた。

あんなに気前良くご馳走してもらったお金が、店の売上げから抽出されていたと知り

たかっていた私たちは神妙な面持ちになった。

 

 

なんとも後味の悪い話になってしまったが、

こんな奴に一時は「一生面倒みると言われ」それを信じていたら

一生面倒見る羽目になっていた、本当にあった怖い話でした。

 

どうもご清聴有難うございました。


(20)被告人:酒癖悪美。インドで訴えられる。

転職して2ヶ月が経過し、新しい会社での仕事に少しずつ慣れてきたころ、それは突然やってきた。


母から慌てた調子でメッセージと書類のスキャンが送られてきた。

「悪美ちゃん、英語で書かれた書類が送られてきたんだけどわかる?

よく理解できないけど、Courtって裁判所だよね?!」



田舎に住む60を過ぎた母は、英語は話せないものの、辞書片手に

ハリーポッターを原書で読む、なかなかファンキーな女性だったので

ことの重大さを理解して直ぐに連絡をよこしてきた。


そのメッセージを受け取ったとき、私は車で次の営業先へ向かうところだった。


社用車の中で、「criminal offence 犯罪」とか「high court 高等裁判所」という

入試の長文でしか触れたことのなかった単語が飛び込んできて、ガタガタ震えた。


母から送られてきた書類にざっと目を通す。


どうやら私は訴えられているようだ。



原告:校長

被告:悪美

罪状:小切手の不渡り

この手紙を受け取った2週間以内に

残高不足で不渡りになった小切手の金額を口座に入金すること。


弁護士を通じ、インドから海を渡り、電車が1時間に1本しか走っていない田舎町へ郵送された手紙は

なかなか大きなインパクトがあり、母子ともにパニックに陥った。



説明しておくと、インドにはボンド制度なるものがある。

研修期間終了後、直ぐに社員が離職することを防ぐために

研修後年以内(大体1-3年)に離職した場合は違約金(通常数十万円)を支払わせるという制度だ。


ちなみに日本ではペナルティを課して労働者の離職を制限することを法律で禁じられている。


確かに、新卒社員に半年間みっちり研修を受けさせ、資格取得の資金を出資し

やっと一人前の社会人としてデビューするタイミングで、転職されたら、企業としても許しがたい。


わたしが契約書にサインするときも「インドでは大概の雇用契約書にボンド制度が定められているよ。本校ではものすごい酷いことをしない限り5年以内に離職してもペナルティを課さないから安心して」と校長から説明を受けていた例の文言だ。


私の場合は、日本語教師の資格を自費で取得していたし

そもそも赴任して翌日には3クラスを受け持っていたので研修など何も受けていない。

払う義務などないと思い込んでいた。

サインしたけど。w


そして、給料も25千ルピー×6ヶ月=15万ルピー(30万円)しか受け取っていない。

(そもそも初任給は盗まれて、ATMで感電しているし。)


にも関わらず、受け取った金額の4120万円を支払えと高等裁判所は言っている。バカなのか。

小切手にサインしたのは私なのだけどwww



別れ際に「お金を支払ってもらう気はない」と言っていたあの男の顔が思い浮かび

自分の愚かさに腹が立ち、怒りで体がわなわなと震えた。


急いで友人Nに書類のデータを送り、内容を確認してもらった。

彼女は本当に頼もしく、パニックになっている私に代わって

状況を会社の法務担当者に英語で説明し、助けを求めてくれた。


法務担当者の回答は「インドでは小切手の不渡りは刑事責任を問われるので

支払わなければならない。セクハラを受けた証拠が残っていたら、裁判で戦うこともできるかも」というものだった。


そんな証拠は残ってないよ、どちらかというと私が校長にセクハラ発言をしたドキュメントは残っているよ。

と言いそうになったが、会社での立場が危ぶまれると思い、友人Nにも法務担当者にも黙っておいた。


ここで、「トライアルクラスでセックスを教えたら入学希望者が増えるんじゃないですか」というドキュメントが

世に出てもらっては困るのだ。


会社の力は借りず自力で解決しようと決めた。


先ず私は、最近人気のLINE無料弁護士相談とお友達登録をした。

弁護士ボットが軽快なテンションで「何にお悩みですか?」と元気に問いかけてきた。


細かく状況を説明し、セクハラドキュメントを握られていることまで赤裸々に綴った。

ボットは相変わらず軽快なテンションで「金銭トラブルですね!担当者から折り返し連絡いたします!」と

こっちの気持ちなどお構いなしに元気に回答してきた。


翌朝、恐る恐るラインを開くと本物の弁護士から回答が来ていた。

「インドの法律は分かりません」と一言。携帯を思いっきりベッドに投げつけた。それはそうだと納得した。


気を取り直して他の方法を考えた。


次に、匿名でJETRO日本貿易振興機構)へ問合せ、

インドに常駐する日本人の女性弁護士を紹介してもらった。


状況説明と合わせて、今回送付された訴え状と入社時に署名した雇用契約書一式をデータで添付して返答を待った。


セクハラドキュメントの存在はとりあえず伏せておいた。悪美だとバレたらふりになると判断したため。


程なくしてメールが返ってきた。

女性弁護士は本当に良い方で、「腹立たしいケースであり、何とか力になりたい」と申し出てくれた。


然し、小切手の不渡りは刑事責任を問われるので、期日である2週間以内にこちらから訴え返す必要があると言われた。


女性弁護士はインド国内の弁護士資格を持っていないのでインド裁判所で戦うなら、インド人弁護士を雇う必要があり、尚且つインドの裁判は簡単な案件でも数年かかるため、最終的に120万円の支払い義務を免れたとしても、それ以上に弁護士費用がかかると言われてしまった。


然し、彼女は正義感の強い人だった。

セクハラを受けた証拠が例え無かったとしても、悪美の証言を文書化して送りつけ支払う意思が無いことを示したら、示談に持ち込めるかもしれないと申し出てくれた。


これまで校長から言われたこと、された出来事をできる限り思い出して時系列でまとめて送って欲しいと提案してくれた。

それなら、文書作成だけなので数万円の弁護士費用で対応してくれるそうだ。


とんでもないことだと思った。

そんなことをしたら、反対に向こうから私のセクハラ発言が返送されてくるのが目に見えていた。

こんなに親身になってくれた女性弁護士を失望させ、蔑まれる様子が容易に想像できた。会ったことも無いのだけど。


トライアルクラスでセックスを教える提案をした女を誰が弁護したいというのか。


ここはドングリの様に低いプライドと自分の面子を守るために、潔く支払うことを決めた。


校長は最後まで策士だった。

そして、私は最後まであいつの策に溺れた。

あのドキュメントがある以上、示談になど持ち込めないのだ。


「身から出た錆」

「火のない所に煙は立たない」

この二つを座右の銘にして生きていくことを決めた。


女性弁護士は、とても悔しそうにしてくれた。

然し、私の決断に納得し、今後また何かあったらいつでも相談してくるように声をかけてくれた。



それから私は毎月22万円程度の給料を貰いながら、16万円返済し、8ヶ月かけて120万円を完済させた。



酒癖悪美がインドで起こした酒の失態-日本語教師-

(19)とんでもない会社に入社したとんでもない悪美

日本でビザを取り直し、2週間ほどでインドに戻った。

 

前回はワキガのインド人に囲まれて、ゴキブリが機内食に混入しているエアインディアを利用したが

今回は会社がANAの直行便を予約してくれた。

 

乗客はほぼ日本人のビジネスマンでワキガではなく皮のにおいをさせていた。

 

インドへ単身で向かうのは学生時代含めて3回目なので、特に高揚感も無かった。

慣れきった所作でパスポートを提示したところ「お前、インドビザ3枚目か」と入国審査官にいじられつつ、無事にイミグレーションを突破した。

 

予定ではインド空港に到着すると、友人Nが待っていてくれる筈だ

辺りを見渡してもそれらしき人物は見当たらない。1,2分きょろきょろしていると、友人Nの同僚KとGが現れた。

 

友人Nはどうやら酔いつぶれているらしく、代理で私の出迎えに来たらしい。

インドのキャバクラで飲んでいるので、そこでNと落ち合うと言う

 

キャバクラに到着すると、そこには私の知らないインドが広がっていた。

 

インド人の女性が、ひざ上20cmの真っ赤なスーツを上下着用し日本人男性を相手に破廉恥な接客をしていた。

 

胸を触られると「ダメ~、ダメ~」と言いながら、指先でバッテンを作りサラリーマンの顔に押し付けている。

 

日本でもキャバクラに足を踏み入れたことの無かった私は、インド空港に降り立った時より興奮していた。

 

店の奥でNを発見した。

今後私の上司になるSさん、クライアントであるAさんと3人で飲んでいるようだ。

 

Nは全身をAさんにあずけ、サワーオニオン味のレイズをエンドレスでAさんの口に運んでいた

 

Aさんは無表情でレイズを咀嚼しながら、Nの胸をもんでいた。

上司Sさんは感情が抜け落ちた、人形の様な顔で、部下が胸を揉まれるのを眺めながらウイスキーを飲んでいた。

 

地獄だと思った。

 

私がNの前に姿を現すと

「てめー、なんでここに居るんだよ!」とどすの利いた声で罵り、急に立ち上がり私の尻に2発蹴りを加えた。

 

そのままよろめき、Aさんに倒れこむと脚をAさんの太ももの上に投げ出して眠った。

Aさんは何事もなかった様に、Nの脚を触り始めた。

 

これから会社の仲間になる私に対して何の興味も示さない、同僚KとGはカラオケに興じていた。

 

飲まなければこの環境を楽しめないと思い、ほぼウイスキーの水割りを作って一気に飲み込んだ。こういう時、地獄を一瞬で天国に変えてくれるお酒はやっぱりやめられないと思った。

 

すると、隣のテーブルから叫び声が聞こえた。

悪酔いしたサラリーマンが、嬢の体を必要以上にタッチした事で嬢が激怒した様だ。

すると、全く関係無いテーブルに座った50代後半のおっさんが

「お前誰に許可とってこのクラブで騒いでるんだよ。オレが誰だか分かってんのか。○干支会の会長だぞ!!」と怒鳴った。

 

鳥だが、猿だが、羊だが、どうでもよすぎて覚えていないのだが、当時流行っていた「斉藤さんだぞ!」的なノリだと思い、ポカンとしながら傍観していた。

 

すると、驚いたことに先ほどまで悪酔いしていたサラリーマンが気まずそうに

「○干支会の会長さんか......マズイな」という様な事を仲間たちと耳打ちし

会長さんに謝罪をしたのだ。

 

後に嫌という程体感するのだが、インドの日本人社会は反吐が出るほど狭く息苦しく粘着質だった。

皆、○干支会や昭和○年生まれ会、○大学OB会などに所属して帰属意識を必死で得ようとしてた。そして、その会の会長には結構な影響力があり、その影響力をビジネスを持ち込むことも多々あった。

 

コンプライアンス違反、カルテルが平気で行われていた。

 

なので悪い酔いしたサラリーマンは○干支会の会長さんに逆らえなかったのだ。

 

そして、日系企業と殆ど関らないインドマーケットだけを相手に

ビジネスをしているAさんに怖いものが何も無かった。

46時中キレる対象を探している様な怒れる男性だった。

 

上司Sさんがカラオケで尾崎豊を歌っていた時、遠くのテーブルに座っているサラリーマンが歌には興味を示さず同席者と笑いあっていたのが気に食わなかった様だ。

 

「あいつ、Sの歌笑ったな。ちょっと絞めてくるわ」という様なことを言ってトイレに立った。

 

その辺りから私も酔いが回り記憶が曖昧なのだが

数分後私が店の外に出るとAさんが笑っていたサラリーマンの胸ぐらを掴み「てめーSの歌笑っただろ!!!!!」と今にも殴り飛ばす勢いで叫んでいた。

歌を笑われた上司Sさんは、「俺たち客商売なんでやめてください」とニヤニヤしながら止めていた。

サラリーマンは訳もわからず「知りません!!!」と必死で応戦していた。

 

とんでもない会社に入社したなと思った。

 

 

 

人の喧嘩を見たのは久しぶりだったので私も興奮してしまった。

 

午前二時ごろ店を出て、5人乗りの乗用車に5人で乗り込んだ。

私は後部座席から上司を羽交い締めにして

「やらせろ!!!!!!!!!」と叫んでいた。

 

とんでもない奴が入社したな、と皆が思っていた。

 

 

 

 

 

(18)払わなくて良い小切手などこの世に存在しない

退職までのカウントダウンが始まった。


能面と男性教師(パンチパーマ)は学生に嫌われながら私の授業を引き継いでいた。


半年間で3回も担当教師が代わるなんて、インド人が不憫でならない。


半年前に私が赴任してきたときは、「あの先生は何を言っているかわからない」と校長室にクレームを入れにいっていた連中が、今度は能面やパンチパーマが何を言っているかわからないとクレームを入れていた。歴史は繰り替えす。


特にトシャールという学生は私のことを慕ってくれていたので、悲しみもひとしおだった。。


レッスン1から私が受け持ったクラスの学生で、あいうえおの読み方から教えた。


会話クラブで、相手の話にびっくりしたとき英語では「Really?」と言うが日本語では何と言うのかと聞かれたので、「うそーん!!」と言う事を教えたため、授業中もことあるごとに「うそーん!」と連呼するかわいい奴だった。


例文を作るときも、兎に角私を笑わせることに命をかけていて、

「~たいです、たくないです。Want todon't want to.」を教えたときも

「消しゴムを食べたくないです」とか、意味不明な例文を作り私をニヤニヤさせた。


兎に角私の笑いのツボを心得ていた。

トシャールのせいで、私が笑いのツボに入ってしまい何度も授業が中断された。


だが、私の誕生日には「誕生日おめでとうございます」と教えていない日本語を調べて祝ってきたり、バレンタインには香水をプレゼントしたりしてきた。彼が私に対して好意を持っていることはわかっていた。


能面がトシャールの授業を担当し、私が見学に入るようになると、私の前に座り何度も何度も「先生、どうして座っていますか?先生、どうして?日本へ帰りますか?」と懇願するように聞いてきた。

心がえぐられるように痛んだ。

トシャールはインドの有名な大学の学生で、日系企業に入って、日本へ赴任することを目標にしていた。

日本の文化を愛していて、いつか日本に住むことが夢だったが、留学するお金は無いので仕事で夢を実現しようとしていた。


彼以外の学生も大変熱心で日本語に一生懸命だった。

彼らの指導を放り出して学校を辞めてしまう自分がとても情けなかった。


でもそんなことよりも、何度も言うが、一刻も早くこの学校から逃げ出したかった。


退職日の1週間前、校長に呼び出され、小切手を持ってくるように言われた。


半年間という短い時間であったが、生徒と信頼関係を築き、学校の発展に貢献してくれたことに心から感謝している、

これまでコミュニケーションミスで色々と勘違いはあったが、これからも良い友人で居たいと御礼を言われた。


そして、契約期間内の自己都合退職は違反になるので、前例を作らないためにも

違約金を支払ったという証拠を形だけ残してほしいといわれた。

「契約書の内容が守られないと、全てが無意味になり、秩序が無くなってしまう。他の先生が無責任に辞めてしまうと、生徒がかわいそうだろう」と指摘された。

加えて、私が支払わなくても請求することは無いし、例え支払ってもらったとしても全額返金するといわれた。


校長「それでは、小切手にサインをしてくれ」と8万ルピー(16万円)7枚と4万ルピー(8万円)1枚、計860万ルピー(120万円)の小切手にサインするよう促してきた。


小切手の支払期日も私の新しい会社の給料日に合わせて、8ヵ月後に完了するように毎月末日を指定してきた。


少し違和感を感じつつも、大切な生徒を残して退職してしまう罪悪感が思考を鈍らせ、社長の謝罪を信じた。


世間知らずで無知な私はその校長の発言を一切証拠に残さなかった。

今思えば本当に阿呆でマヌケで子供じみた判断だった。


帰国するとき、私には何も無かった。


一方、校長には私の下ネタドキュメントと恥ずかしい検索履歴と120万円の小切手があった。


最終日、校長は空港まで車で私を送ってくれた。


そこでもまた、「君と一緒に居るのは本当に楽しかった。ずっと友達で居よう」と言われた。


色々あったけど、無事に転職先も決まり、ここで働いたことも良い思い出だったと思い、後腐れなく別れを告げた。




空港でフライトを待っていると、Facebookにメッセージが届いた。

トシャールからだった。

「せんせい、せっくすしたいです。」という内容だった。


こんな奴に心を痛めていた自分を恥じた。


インド人とはやっぱり一生分かり合えないのだと心を凍らせた。

(17)躁鬱病の能面

後任教師の赴任日が決まった。


後任は20代後半の男であったため、もうこの校長の「日本人女性とまぐわりたい欲望」の

犠牲者が増えないことに胸を撫で下ろしていた。


然し、男性新人教師の赴任日の報告と一緒に、

もう一名女性の採用報告を受けた。


他の従業員へは何の相談もなしに、一気に2名採用を決めたのだ。


私はその女性が醜いことを切に祈ったが、履歴書を見てため息をついた。

28歳、美人。次の犠牲者が確定した。


挙句の果てに「スカイプ面接したけど胸が大きかった。Fくらいあるかもしれない」と

鼻の下を伸ばしながら私に報告してきた。


先日薬を盛って抱こうとした女に向かって、スカイプ画面上で相手のカップ数を透視することができる能力を

暴露したこのインド人は本当に救いようがない。

(この発言をドキュメント化してやればよかった。)


ただ、このインド人に兎に角関わりたくない私は、正義感をグッと飲み込み

彼女を次の生贄に捧げることにした。


校長の元カノである心底嫌い女とはなんだかんだまじめに交際していたし、

この美人は、若しかしたら校長の運命の人かもしれないし。

私の知らない所で良しなにやってもらおう。



美女のVISAは順調に取得が進み、男性教師と同じ日に赴任が決まった。


長時間のフライトを経て、深夜1時頃にうちにやってきた美女は

写真ほどではないものの、そこそこ可愛かったが一切表情というものが無かった。

加えて、致命的に無口だった。

私が「疲れたでしょう」とか「インドは想像より寒いでしょう」とか

初対面の相手に安心感を与える精一杯の笑顔で話しかけたが、美女は小さい声で「ええ」としか応えなかった。


会話のキャッチボールを拒否された私は、余程フライトが疲れたのだろうと思い

その日は社宅の使い方と明日の出勤時間を説明して就寝した。


翌朝美女に朝食を食べるかと誘ったが「いいえ」と断られた。これが初めての「ええ」以外の会話だった。2文字が3文字になったので少し進歩。


出勤中に「どうしてインドに来ようと思ったんですか」という至極当たり前の質問をしたが

女は「色々あって」とだけ答えてそっぽを向いてしまった。


自らの意思でインドに来る奴なんて、私のように相当自己顕示欲が強いか

日本で相当色々あって逃げてきた奴に限られる。

この女は後者だった。

そして、どうやら校長から何か吹き込まれていて、出会う前から私のことが嫌いみたいだ。極端に避けられているのを感じた。


学校では「会話クラブ」なるものがあり、

日本語レベル問わず先生と会話したい生徒が集まる自由時間を設定していた。


初日ということで、男性教師と美女に今日は会話クラブを担当させた。


日本で色々あってインドに来ざるを得なかった人間が、

殆どコミュニケーションのとれない外国人の日本語を汲み取り

楽しませることはできるのかと不安に思っていたが

そこそこ普通のテンションで生徒と会話を楽しんでいたことは予想外だった。


然し、余程疲れたらしく30分の会話クラブが終わると

能面が100年ぶりに笑った様な引きつった顔で口角を上げたまま職員室に帰ってくると

30分ほど一言も発することなく遠くを見ながら紅茶を啜り続け、ゆっくりと口角を元の位置へ戻していた。


30分後に「疲れた。。。」とつぶやき、元の能面へ逆戻りした。


夜は、私のお気に入りの屋台へ連れて行き、一緒にチャパティを食べて

少し高感度を上げることに成功したが、社宅に戻ると自室の扉をピシャリと閉めてしまった。


翌日、女には私の授業を見学してもらう予定を組んでいた。

然し朝になっても、女は一向に自分の部屋から出てこない。

出社時間になっても出てこない。流石におかしいと思い、ドアを何度もたたくが反応がない。


不安になり、校長に電話すると「今日は体調が悪いからお休みしたいと連絡があった」とのこと。


1日の勤務を終え、家に帰ると社宅は真っ暗で静まり返っていた。

誰も居ないのではと疑ったが、鍵は開いていたのでいるはずだ。

部屋から出た形跡が一切無く、不気味だった。

翌日も、朝になって声をかけても女は部屋から出てこないどころか、一切返事をしなかった。


赴任翌日に会話クラブに参加させたことが余程疲れたのか。

私は赴任直後、淫乱の後釜として3クラスを受け持ち、文句を言われながら授業を回していたことを思い出し、

甘えている能面を非難したかったが、ストレスの感じ方は人によって異なるのだと、グッと文句を飲み込んだ。


翌朝も、やっぱり女は出てこなかった。然し、女のドアに張り紙がしてあった。

Don't Knock the door!!!

ドアをノックするなだと???????

目を疑った。私は日本人だし、お前のルームサービス係りでもなんでもない。

夜私が寝静まったのを見計らい、のっそりと部屋から出てきて張り紙をしたと思うと、このコミュニケーション障害の能面に腹の虫が収まらない。

お構いなしに女の部屋をノックしてやった。「大丈夫???ねえねえ、なにこの張り紙???」本当に無神経。


然し、その日も何の反応も無かった。


校長も流石に3日連続欠勤を心配したのか、体調が悪いなら病院へ連れて行かなければならないから、と大量のフルーツやヨーグルトを購入して日中社宅へ尋ねに行った。

だが、案の定相手にされなかったようで、学校に戻ってきて「あの女は頭がおかしい」と悪態をついていた。あの女を採用したお前はもっと頭がおかしい、と頭の中で考えていた。

その夜もやっぱり、社宅はピシャリと静まり返っていたが鍵は空いていた。


川を埋め尽くすゴミ、河川敷に広がるスラム、縦横無尽に歩く牛、教室に入り込む猿。

初めてのインド生活は彼女にとってあまりにも衝撃的で

きっと明日には出てきて、「日本に帰ります」と言い出すのだろうと考えながら眠りについた。


然し翌朝目を覚ますと能面は社宅で育てている植物に水をやっていた。

3日間、私の声かけに一切応じず、「ドアをノックするな!!」という張り紙までしたことなど夢だったかと思う位、けろっとした顔をして

「おはようございます」と言い、私より早く学校へ出勤した。


この3日間、能面の中で何があったのかは知らないが

その後も日本人とは相変わらず必要最低限のコミュニケーションしか取らず

それなりに授業に取り組むようになった。きっと生理だったのだろうと思った。


後から仏陀から聞いた話だが、私が退職した数週間後に

もう一度生理(引篭り)が来たらしい。そのタイミングで退職したようだ。


この学校にやってくる全ての女は私含めて全員頭がおかしかった。


(16)合法ドラックとサライ

校長との関係性はかなり改善されてきていた。


理由としては大きく4つ。

1つ目、朝食のサンドイッチを作ってくるようになった。

7時からの早朝授業がある日は、6時半に私を社宅まで車で迎えに来て

その後自宅に戻りサンドイッチを作り、授業後に手渡してくる。

献身的な嫁である。


2つ目に、昼食のカレーを買ってくるようになった。

それも、普段私が食べているような屋台の50円程度のカレーではなく

レストランへオーダーした美味しめのカレーだ。


3つ目に、帰りの送迎時にレストランに寄り夕食も買い与えるようになった。


4つ目に、数万円する皮のローファーを買い与えてきた。

授業中生徒に、形容詞を使った例文を作らせたときに

「先生の靴は汚いです」と言われていたのを聞いていたのだ。


(それを聞いて、他の生徒が「先生はいつも同じ服です」と言ったのも

聞いていてくれたら良かったのに)


万国共通男は、女には飯とモノを与えれば良いことを知っているようだ。


20歳以上年上のきもいおっさんに告白され、閲覧履歴を監視され

パワハラ的に仕事を増やされていたにも関わらず

例外なく私も飯とモノでコロっとおっさんに心を開くようになった。


関係性がかなり回復してきたころ、インドの色かけ祭りホーリーがやってきた。

お祭り当日は、ペンキが入った水風船を誰彼構わず当て付ける基地外じみた祭りだ。


お祭り1週間前から街中が浮き足立つ。一人で外を歩いていると

ベランダからクソガキに水風船を何度も投げつけられた。

外人は標的になりやすい。ベタベタに濡れた私の髪の毛を見て、

ゲラゲラ笑うクソガキを捻りつぶしたい欲望にかられながら

私は無言でその場を立ち去った。


祭り当日はもっと悲惨だ。

歩いていると、通りすがりのバイクに乗った男が

急にペンキの入った水風船を投げつけてくる。

時速60kmで風船を投げつけられると普通に痛い。

私がお前に何をしたというのか。だが、今日はペンキをかけられて

怒った奴の方が頭がイカレていると思われるのだ。

人に水風船を投げつけて喜ぶインド人とは一生分かり合えないし、分かり合いたくも無い。


学校へ出勤すると、教室の入っているフロアの上に住んでいる

また別のクソガキがベランダでニヤニヤしながら待ち構えている。

風船ではなく、バケツに大量のペンキを用意して

それを私に頭上からお見舞いしようとしている。

I have Laptop!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ノートパソコン持ってまーーーす!!!!!!!!!!!

と、雄たけびを上げながら建物に逃げ込んだ。


パソコンは何とか水没を免れたが、ジャケットはペンキまみれになった。

それでも今日は怒ってはいけないのだ。信じがたい。


お祭りの日、授業は休みだったので私はゆっくりと事務作業をしていた。

そこに校長から連絡が入る。


「私の家でホーリーのパーティーをします。

色々な人を招待しているので、良かったら来てください。」

というような内容だった。


朝からペンキをかけられて苛立っていた私は、

どうしてもインド人に水風船を投げつけたい気持ちを抑えることができず

校長主催のパーティー参加を決めた。


校長の家に着くと、そこには校長しか居なかった。

色々な人を招待しているのは事実だったが、

色々な人は軒並み返事をよこしていないようだ。


朝からニワトリを丸ごと購入して、台所で解体した形跡の残る血だらけのシンクと、

50個以上の水風船が用意されているベランダを見て

心からこの誰からも相手にされない40代のインド人を不憫に思ってしまった。


私は誰からも相手にされない人間にとことん弱い。

今日一日、この不憫な校長を少しでも楽しませようと決めた。


近所の小学生を家に招きいれ、

道路を歩くインド人めがけて水風船をベランダから投げつける遊びを始めた。


「やめてくれ!!!!大事な書類を運んでいるんだ!!!」と叫ぶ

サラリーマン風のインド人めがけて、容赦なく水風船をあてつけた。

最初は背中に当たったが、3球目が男のカバンに命中して見事書類を濡らす事に成功した。

とんでもない快感だった。

私の中のインド人が目を覚ました。


校長とペンキを掛け合い、チキンを食べて、ビールを飲んで

それなりに楽しかった。


そこで校長は、ホーリーの日は元気になる草を噛むのがインドの伝統だと言いはじめた。

その草は合法で、ホーリーを盛り上げるために殆どのインド人が草を噛むらしい。

私の中のインド人が目覚め始めていたので、元気になる草を試してみることになった。


車で草が購入できるマーケットに行き、校長は草を2つ購入し

二人同時に草を噛んで車に乗った。


ものの5秒で私の中の世界が渦を巻きはじめ、渦が胃を直撃する。

そのままトルネードの様に胃の内容物が突き上げられて

ものすごい勢いで車の窓からゲロを吐き出した。


校長はそれを見て「ヒャッハーーーーー!!!!!!!!!!!フォー!!!!!!!!!」などと

雄たけびを上げて、ハンドルをぶんぶん回しながら車のスピードを加速させる。

香山雄三のサライを驚愕の大音量で流し始めた。


今度は全身が震え始める。震えながら、猛スピードで走る車から頭を出して

白いゲロを死ぬほど吐いた。


雄三「さくらーふーぶーきの サライーの空はー」

私「ゴボゴボゴボゴボ(ゲロ)」雄三「サライー」

校長「ひゃっほーーーーーーーーっい!!!!!サライヒャッホーイ!!!!!!!!」

私「ォエエエエエー」

地獄絵図


この草が合法だというのなら、インドとは一生縁を切ったほうが良いだろうと

朦朧としながら考えていた。


校長の家に到着し、私は足を絡ませながらソファーに倒れこんだ。

その上に校長が襲いかかってきた。


何度もゲロを吐き出すまねをしてトイレに逃げ込んだ。

トイレで立て籠もっていると、悪かったと何度も外から謝る声が聞こえた。


私は「社宅に帰らせてくれ」と懇願した。

前に書いたが、校長は家の外でドーベルマンを飼っているため

勝手に帰る=犬に噛み殺されるのだ。


「家まで送っていく」と寂しそうな声で回答する校長を信じて

扉を開けて、無事に社宅へと生還した。


人生で一番散々な日になった。


(15) インドで仏陀と家探し

退職までの準備を進めるなかで、無事に男性教員の採用が

決まり、VISA取得準備が始まった。


後任が決まり、自分の転職活動も順調に進んでいることで心に余裕が出てきた。


毎日19時になると卓上カレンダーの今日の日付をニンマリしながら消して

今日も1日、刑期を無事に終えたことを確認する作業を日課にするようになった。





後任の赴任まで1ヶ月、赴任後に引継ぎをするのに1ヶ月

残り2ヶ月だったが、閲覧履歴を監視されている社宅に住み続けることは困難だ。



ゲロバースデーを催してくれた宿を経営する友人に不動産会社を紹介してもらい

月々4,000ルピー(8,000円程度)を上限に、独断で家探しを始めた。


不動産会社の担当者はとても清潔感のある男だった。

クーラーのきいた部屋でコーヒーを飲みながらカウンターに笑顔で座っている。


清潔男「イエスマダム、どんな部屋をお探しかい?マダム!」

(インド人は1センテンスで文頭と文末で必ず2回マダムと言う。イライラする)



然し担当者に私の予算を告げると、本当に同情した目つきで

「別の業者を紹介する」と言われ、外に連れて行かれた。


大通りから外れた小道を5分ほど歩くと、汚い家が立ち並ぶ貧しいエリアに一変した。


そのエリアの入り口付近で野良犬を触りながら、ゴミを焼いている汚い男に

担当者はヒンディー語で話しかけた。


ゴミ男は蛇を隠している様な歪な形(うこ)の帽子を被り、黄ばんだ白い布を下半身に巻いていた。

口を開くとまっ黄色の歯と血走った眼球がくっきりと浮かび上がり、無表情でまくし立てるように話し出した。


担当者が紹介しようとした別の業者は不在らしいが

こ帽子男の扱う物件で空きが出たので、その物件を私に見せたいと申し出ている様だ。


担当者は少し不安そうに

「マダム、私はうこ帽子男が扱う物件の内覧をしたことが無いので、見る価値があるか分からない、マダム」


本当にマダムマダムうるさい奴だ。なんでも良いから早く内覧がしたい。


ネットの履歴を監視されるよりもマシな場所であればどこでも良いと思っていた私は

担当者の心配をよそに、うこ帽子に着いて行った。


100m程歩くと、震度3で全壊しそうな4階建ての古い学習塾に到着した。

外観は塗料が剥がれ落ち、積み上げたレンガとそれを繋ぎ止めるコンクリートがむき出しになっている。


中を覗くと、何十人の中高生が窮屈そうに教室に収容されて、授業を受けていたが

私を発見すると、大声で何やら騒ぎ始めたので授業を中断させてしまった。


こ帽子はアゴで「くいっ」と上を指してから、ずんずんと階段を登り屋上まで進んでいった。

屋上まで急な階段を登ると、重そうな鉄の扉に行き止まった。


鉄の輪っかに何十個も鍵が付いているキーホルダーから、ゴソゴソと該当する鍵を探し当て扉を開けた。


扉を開けると、外だった。

インドの汚い街並みが一望できた。


こ帽子よ、私はいくらなんでも屋上で野宿するために月々4000ルピーも払えない。


呆然としている私をよそに、今度はアゴで右側をくいっと指した。


屋上の端っこに、掘っ立て小屋がポコりと建っていた。


ドアが2つあった。

1つのドアを開けると細長い空間に

折れそうに細いパイプでできたシングルベッドとぼっとん便所とバケツ(風呂用だろう)

そして錆びが鱗のようにびっしりとこびりついた今にも爆発しそうなプロパンガスとコンロが置かれていた。


ベッドにはマットレスが乗っかっていたが、カビまみれで真っ黒に変色していた。



4ワンルームに台所、トイレ、風呂、寝床それら全てが共存していた。

壁も汚く、やっぱり窓には鉄格子がかかっていた。



もう1部屋はこの学習塾の清掃員が住んでいるらしい。



真夏の酷暑がえげつないインドでは、最上階に行くほど家賃が安くなる。


太陽に近いほど暑いからだ。

そして、建物の屋上にポコッとできた掘っ立て小屋は

決まって使用人が住んでいた。


事もあろうに、うこ野郎は使用人の部屋を紹介してきたのだ。


清潔な担当者は「ここは使用人が住むところだ!いくら君にお金が無くても、こんな所に住まわせることはできない!」と

マダムを付けるのも忘れて私の代わりに怒ってくれた。


う○こ野郎はニタニタと笑いながら去っていった。


インド人のダメ元で提案してくる腐った根性を叩き直したい。



影が薄い故、これまで登場させなかったが

実はもう一人40代の男性教諭も同じ学校で働いていた。


そして彼の社宅は、その屋上ポコっと部分だった。


ポコッとは大変密閉性が悪いので、蚊が沸くように侵入してくるらしく

夏場は顔中を蚊に刺されて出社してきていたのを思い出した。


「蚊が多くて眠れないので、昨晩は部屋中の隙間を

段ボールで塞ぐ作業をしていたので眠れなかった。」という話を

ボリボリと音を立てて、顔を掻きむしりながら話していた。


結局寝れてねえじゃねえかと私は内心思っていた。

寝るために始めた行為で結局寝れないという何とも哀れな男なのだ。



日本人教師をポコッと部分に住まわせるなんて、あの校長は何を考えているのだろうと

腹が立ったので、その男性教師に


「寝不足になると授業にも影響するから、もっと良い社宅に引っ越せるように校長へ交渉したらどうか」


と聞いたことがあったが、


「引越しをするほうがめんどくさいので良いです。」

と笑いながら答えた。


顔中蚊に刺されながら夜中に段ボールで家の隙間を塞いでいる方が死ぬほどめんどくさいだろと思った。


しかし、この男からは一切の欲というものが感じられない仏陀の様なお人好しだったので、放って置くことにした。


この仏陀は本当にすばらしい人間だった。

仏陀の家が隙間だらけだと前述したが、私たちの働く学校も隙間だらけだった。


どうやって入ったのかは不明だが、冬の時期に

毎朝出社すると仏陀のパソコンの上で、猫が暖を取っている日が続いた。


仏陀は猫が退くまでずっと、紅茶を啜りながら微笑んで猫を見ていた。


インドでは猫は忌み嫌わている動物のため

インド人職員が出社すると大声を上げて猫を追い払った。


(目の前で猫が横切ったと大学生の生徒が泣いていたこともあるくらいだ)


仏陀はそれも微笑みながら見ていた。

「怒」という感情が欠如した、そういう男だった。




私はどうしても屋上のポコッと部分に住むのは嫌だった。

でも、同じくらい閲覧履歴を見られるのが嫌だった。


内覧翌日に仏陀と話しているときに、

「社宅のwifiを使うと閲覧履歴を校長に見られていることについてどう思うか」と聞いてみた。

仏陀は「見たいのなら見たらいいじゃないですか」と微笑みながら答えた。


40代の男なんて見られたくない閲覧履歴しか残っていない筈なのに

仏陀はやっぱり仏陀だった。




そして

「社宅のwifiは接続せず、自分の名義でwifiを契約したらどうですか?」と提案した。


なんでそんな簡単なことに今まで気付かなかったのだろうと、私は仏陀の教えに開眼した。