(15) インドで仏陀と家探し
退職までの準備を進めるなかで、無事に男性教員の採用が
決まり、VISA取得準備が始まった。
後任が決まり、自分の転職活動も順調に進んでいることで心に余裕が出てきた。
毎日19時になると卓上カレンダーの今日の日付をニンマリしながら消して
今日も1日、刑期を無事に終えたことを確認する作業を日課にするようになった。
後任の赴任まで1ヶ月、赴任後に引継ぎをするのに1ヶ月
残り2ヶ月だったが、閲覧履歴を監視されている社宅に住み続けることは困難だ。
ゲロバースデーを催してくれた宿を経営する友人に不動産会社を紹介してもらい
月々4,000ルピー(8,000円程度)を上限に、独断で家探しを始めた。
不動産会社の担当者はとても清潔感のある男だった。
クーラーのきいた部屋でコーヒーを飲みながらカウンターに笑顔で座っている。
清潔男「イエスマダム、どんな部屋をお探しかい?マダム!」
(インド人は1センテンスで文頭と文末で必ず2回マダムと言う。イライラする)
然し担当者に私の予算を告げると、本当に同情した目つきで
「別の業者を紹介する」と言われ、外に連れて行かれた。
大通りから外れた小道を5分ほど歩くと、汚い家が立ち並ぶ貧しいエリアに一変した。
そのエリアの入り口付近で野良犬を触りながら、ゴミを焼いている汚い男に
担当者はヒンディー語で話しかけた。
ゴミ男は蛇を隠している様な歪な形(う○こ)の帽子を被り、黄ばんだ白い布を下半身に巻いていた。
口を開くとまっ黄色の歯と血走った眼球がくっきりと浮かび上がり、無表情でまくし立てるように話し出した。
担当者が紹介しようとした別の業者は不在らしいが
う○こ帽子男の扱う物件で空きが出たので、その物件を私に見せたいと申し出ている様だ。
担当者は少し不安そうに
「マダム、私はう○こ帽子男が扱う物件の内覧をしたことが無いので、見る価値があるか分からない、マダム」
本当にマダムマダムうるさい奴だ。なんでも良いから早く内覧がしたい。
ネットの履歴を監視されるよりもマシな場所であればどこでも良いと思っていた私は
担当者の心配をよそに、う○こ帽子に着いて行った。
100m程歩くと、震度3で全壊しそうな4階建ての古い学習塾に到着した。
外観は塗料が剥がれ落ち、積み上げたレンガとそれを繋ぎ止めるコンクリートがむき出しになっている。
中を覗くと、何十人の中高生が窮屈そうに教室に収容されて、授業を受けていたが
私を発見すると、大声で何やら騒ぎ始めたので授業を中断させてしまった。
う○こ帽子はアゴで「くいっ」と上を指してから、ずんずんと階段を登り屋上まで進んでいった。
屋上まで急な階段を登ると、重そうな鉄の扉に行き止まった。
鉄の輪っかに何十個も鍵が付いているキーホルダーから、ゴソゴソと該当する鍵を探し当て扉を開けた。
扉を開けると、外だった。
インドの汚い街並みが一望できた。
う○こ帽子よ、私はいくらなんでも屋上で野宿するために月々4000ルピーも払えない。
呆然としている私をよそに、今度はアゴで右側をくいっと指した。
屋上の端っこに、掘っ立て小屋がポコりと建っていた。
ドアが2つあった。
1つのドアを開けると細長い空間に
折れそうに細いパイプでできたシングルベッドとぼっとん便所とバケツ(風呂用だろう)
そして錆びが鱗のようにびっしりとこびりついた今にも爆発しそうなプロパンガスとコンロが置かれていた。
ベッドにはマットレスが乗っかっていたが、カビまみれで真っ黒に変色していた。
4畳ワンルームに台所、トイレ、風呂、寝床それら全てが共存していた。
壁も汚く、やっぱり窓には鉄格子がかかっていた。
もう1部屋はこの学習塾の清掃員が住んでいるらしい。
真夏の酷暑がえげつないインドでは、最上階に行くほど家賃が安くなる。
太陽に近いほど暑いからだ。
そして、建物の屋上にポコッとできた掘っ立て小屋は
決まって使用人が住んでいた。
事もあろうに、う○こ野郎は使用人の部屋を紹介してきたのだ。
清潔な担当者は「ここは使用人が住むところだ!いくら君にお金が無くても、こんな所に住まわせることはできない!」と
マダムを付けるのも忘れて私の代わりに怒ってくれた。
う○こ野郎はニタニタと笑いながら去っていった。
インド人のダメ元で提案してくる腐った根性を叩き直したい。
影が薄い故、これまで登場させなかったが
実はもう一人40代の男性教諭も同じ学校で働いていた。
そして彼の社宅は、その屋上ポコっと部分だった。
ポコッとは大変密閉性が悪いので、蚊が沸くように侵入してくるらしく
夏場は顔中を蚊に刺されて出社してきていたのを思い出した。
「蚊が多くて眠れないので、昨晩は部屋中の隙間を
段ボールで塞ぐ作業をしていたので眠れなかった。」という話を
ボリボリと音を立てて、顔を掻きむしりながら話していた。
結局寝れてねえじゃねえかと私は内心思っていた。
寝るために始めた行為で結局寝れないという何とも哀れな男なのだ。
日本人教師をポコッと部分に住まわせるなんて、あの校長は何を考えているのだろうと
腹が立ったので、その男性教師に
「寝不足になると授業にも影響するから、もっと良い社宅に引っ越せるように校長へ交渉したらどうか」
と聞いたことがあったが、
「引越しをするほうがめんどくさいので良いです。」
と笑いながら答えた。
顔中蚊に刺されながら夜中に段ボールで家の隙間を塞いでいる方が死ぬほどめんどくさいだろと思った。
しかし、この男からは一切の欲というものが感じられない仏陀の様なお人好しだったので、放って置くことにした。
この仏陀は本当にすばらしい人間だった。
仏陀の家が隙間だらけだと前述したが、私たちの働く学校も隙間だらけだった。
どうやって入ったのかは不明だが、冬の時期に
毎朝出社すると仏陀のパソコンの上で、猫が暖を取っている日が続いた。
仏陀は猫が退くまでずっと、紅茶を啜りながら微笑んで猫を見ていた。
インドでは猫は忌み嫌わている動物のため
インド人職員が出社すると大声を上げて猫を追い払った。
(目の前で猫が横切ったと大学生の生徒が泣いていたこともあるくらいだ)
仏陀はそれも微笑みながら見ていた。
「怒」という感情が欠如した、そういう男だった。
私はどうしても屋上のポコッと部分に住むのは嫌だった。
でも、同じくらい閲覧履歴を見られるのが嫌だった。
内覧翌日に仏陀と話しているときに、
「社宅のwifiを使うと閲覧履歴を校長に見られていることについてどう思うか」と聞いてみた。
仏陀は「見たいのなら見たらいいじゃないですか」と微笑みながら答えた。
40代の男なんて見られたくない閲覧履歴しか残っていない筈なのに
そして
「社宅のwifiは接続せず、自分の名義でwifiを契約したらどうですか?」と提案した。
なんでそんな簡単なことに今まで気付かなかったのだろうと、私は仏陀の教えに開眼した。