酒癖悪美の酒の失態集

インドで3年働いた体験を盛大に盛りながら綴ります。

(7)欲望のダムが決壊した瞬間

前回のウンコパンツ事件から一夜明けいよいよ身の危険を感じる様になっていた私は

学校を辞めたいと思い始めていた。

 

(5)セクハラとパワハラにまみれた夜で前述した通り

校長は心底嫌い女と結婚前提で交際していたのだが、事もあろうに

最近上手く行っていない責任の一端を、女は私に押し付けてきたのだ。

 

ウンコパンツという奇策を講じ命からがらドーベルマンの監視をくぐり抜けた私は

無事に社宅に辿り着いたのだが、その時既に門限をすぎてしまっていた。

 

社長の家に行く際に、私は女に「19時をすぎる可能性があるが、鍵を開けておいてくください」と伝えたはずだ。

 

しかし、鍵で開けられるドアロックだけでなく内側からしか開けられない

アチェーンがかけられていたのだ。

 

隙間から指を差し込み、何度かチェーンを外そうとしたがビクともしない。

当たり前だ。この社宅に住む身として、ビクとでもしてもらったら困る。

 

顔を合わせたく無かったが、女に携帯から電話をかけた。

 

私「あの、、、今帰りました。すいません。勘違いだったら申し訳ないのですが、チェーンが間違ってかかっているみたいなんですけど。」

(私のこの腰の低さがたまに他人をイラつかせる。)

 

女「ほんと?ごめんね!今開けにいくよ。」

 

何が「ほんと?」だ。白々しいにも程がある。

勘違いな訳がない。紛れもなくあの女は故意に私を締め出していることは明白だった。

 

チェーンを開ける前に女は、のそっと顔を覗かせ

女「何やってたの?」と聞いてきた。

 

私の体は冷え切っている。

頼むから早く開けて欲しいのだが、どうやらここで正解を言い当てないと中には入れてもられない仕組みになっている様だ。

 

私「えっと、、、校長の家でお風呂に入れてもらって、食事を頂きました。少し遅くなってしまったのですが、校長と一緒だったので外出の許可は貰っています。」

 

女「それだけ?」

 

私「それだけです」

 

それだけに決まっている。パンツウンコの件でも話したら早々に中に入れてもらえるのだろうか。

 

女は不服そうにチェーンを外し、自分の部屋へと戻って行った。

 

それからと言うもの、女は21時の門限を破り、日付を跨ぐような外出や外泊を重ねるようになった。どうやら別の男が出来たらしい。

 

そして彼等はその責任の全てを私に押しつけ、校長の愛情を一身に受ける役目は私に引き継がれてしまった。

 

社長からの飲みの誘いを断り、14連勤、20連勤が続く。

女とは一緒に住んでいるにも関わらず、殆ど口をきかなくなってしまった。

 

家に帰れば外出できない閉塞感と孤独がミルフィールの様に積み重なり、崩壊が近づいているのを感じた。

 

その日は次の給料日にやってきた。

 

伝え漏れていたが、私の給料は日本円で5万円/月程度だった。

平均年収16万円のインドではそれ程低い金額ではない様に感じるかもしれないが、日本人らしい生活を送るには不十分すぎる金額だった。

 

屋台に行けば、60円程度でお腹を満たすことができたが

その代償として、翌日ゲリラ豪雨が私の肛門を通り抜ける。

 

欲望のダムの決壊は、60円の屋台飯を食べても小雨程度しか降らなくなってしまった

私の体内がインドナイズされてきた時に起きた。

 

大金を手にした私は、「日本食が食べたい・・・・」と腹の底から手が出るくらい、刺身や肉を欲し始めた。

 

直ぐに外出届を提出し、学校が終わると一目散にメトロに飛び乗った。

メトロとリキシャを乗り継いで、1時間程かけて日本食レストランへたどり着いた。

 

ドアを開けると、紛れもなく清潔で誇り高い日本がそこにあった。

 

来る日も来る日も

トイプードルを抱いているかの様な胸毛男

ワキガ女

眉毛が繋がった男

黄色いターバン

青いサリー

赤いターバン・・・に囲まれていた私にとって

 

スーツを着た日本人男性や、綺麗な洋服を着た日本人女性を見るのは数ヶ月ぶりのことだった。

 

急に自分の着ている見すぼらしいインド服と首に巻いていたスカーフが色褪せて見えた。

 

スカーフを外しながら、一人席に着きメニューを物色し始めた。

 

夢にまで見た、刺身や焼肉、焼き鳥、鍋、中華、なんでもあったが、私の想像を絶するくらい高かった。

 

マグロの握りが、2貫で600円くらいするのだ。

周囲に目をやると、事も無げに皆刺身だの肉だのを食べていた。

 

私には金が無いのだ。虚勢を張る必要はない。

一番腹に溜まりそうなベジタリアン向けのお好み焼き(700円)と

アサヒスーパードライ(700円)を注文した。

 

久方ぶりの日本のビールは涙がこぼれ落ちるほど美味で、ゴキュゴキュと白目を剥きながら一瞬で飲み干してしまった。

 

お好み焼きが到着する前に、700円のビールが終わった。

 

お好み焼きとビールを一緒に食べたい」と言う欲望には抗えなかった私は、700円もするビールをもう一本注文してしまった。

 

私の店中に響き渡る「ゴキュゴキュ!ゴキュゴキュ!!」と言う音を出しながら一人でビールを一気飲みする女に危険を察したのか、

次から店員はビールとお好み焼きを同じタイミングで持って来た。

 

瞬く間にビールとお好み焼きを食べ干してしまったが、その日の私は止まらなかった。

 

サーモン巻き寿司(600円)と焼酎(800円)を注文し

巻寿司が喉に詰まって死ぬのでは無いかというスピードで寿司を頬張り

焼酎で流し込んだ。

 

至福の時は、レシートの到着と共に終わりを告げた。

通常の食費/一食分の60倍、お会計3800円也。

 

だが不思議と後悔は無かった。

久しぶりの上質なお酒で、良い酔い方をしていたのだろ。

 

誰もいない家に帰り、大音量でParty Musicを流し

とびっきりのエロい服を着て一人で腰を振り回した。

 

物足りなくなった私はGive me Everything Tonightという2012年にヒットした曲をかけ

 

幾度となく繰り返される「Tonight」というフレーズの時だけ

 

それまで右に回していた腰を左回りに変え

 

ミスしたら、ウイスキーを一気飲みする

 

という一人でも存分に楽しめるゲームを発明した。

 

酩酊状態になりながら、明日辞表を出そうと決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(6)ポリバケツに魂を売った日本語教師

インドの冬は寒い。

真夏は連日50度近くのうだるような暑さが続くが、12月になると朝晩は0度近くまで冷え込む。

 

私がインドに赴任して3ヶ月経った頃、しんしんと寒さが歩み行くようになった。

 

海外では普通のことなのだが、社宅には浴槽がなかった。

 

シャワーヘッドはあったのだが、3分の2の穴が何故か塞がれていて

申し訳ない程度にしか水が出なかった。

 

夏はいいが、冬は地獄だ。

 

致命的なことに、給湯器は10リットルくらしかお湯を沸かせない小さな小さなものだった。

 

TOTOによると、1分間のシャワー流量世界平均は9リットルらしい。浴槽は200リットルほど貯めることができる。

 

社宅の給湯器もトイレも「TOTO」というロゴが付いていたのだが、何故1分間しかお湯を浴びることができない代物を世に放ったのか世界のTOTOに問い正したかった。

 

毎日風呂に入ることが嫌で嫌で堪らなかった。

 

20リットルくらい水が入るバケツに、何度も何度も給湯器でお湯を沸かしては入れ

 

ヤカンで沸かしたお湯を加えて、正座をしてガタガタ震えながら毎日お湯を浴びていた。膝は真っ赤になっていた。

 

案の定、体調を崩した。

インドの辛い食べ物と21連勤に疲弊した体に菌が入り込んだ。

 

どうして21連勤かというと、校長から嫌がらせを受けていたのだ。

 

愛の告白を受けてから、私は意図的に校長から距離を取るようになり

個人的な誘いは全て断る様にしていたのだが、圧倒的な力関係の下で

休みを奪われるという形で制裁を受けていた。

 

その晩は高熱にうなされ、15分おきに襲いかかる嘔吐・下痢と格闘しながら朝を迎えた。

 

トイレが壊れるくらい吐き散らかして、便器にしがみついて震えていると

今まで見えなかった世界を見ることができた。

 

TOTO」だと思っていたロゴは「TOYO」だったのだ。

Yは限りなくTに近い、緩めの角度だったが確実にTでは無い。

 

TOTOがあんなクソみたいな給湯器を作っていなかったことに、朦朧としながら安堵した。

 

 

日本から持ってきたインスタント味噌汁を時間をかけて、宝物の様に1口1口飲んだのだが

15分の嘔吐タイムと重なり、無情にも全て吐き出して出社した。

 

授業中、立っているのもままならない状態で、全く授業にならず自習とした。

 

頼りたくは無かったのだが、生徒に迷惑をかけてはいけないと思い

校長の元へ、病院へ連れて行って欲しいと依頼しに行った。

 

校長「薬は飲んでいるのか」

 

私「抗生物質と胃薬を飲みました」

 

校長「薬が飲めるのならまだ大丈夫じゃないか。」

 

信じがたい返答だった。

 

薬を飲む事もできない仮死状態まで陥いらないと

どうやら病院へも連れて行ってもらえない様だ。笑

 

流石に好きな女に対して冷たくし過ぎたと反省したのか

校長は、ガム一粒くらいの大きさはある

オレンジと黒のシマシマのカプセルをもってきた。

 

校長「インドの下痢にはこれが一番効くから飲んでみなさい」

俄には信じられない様な不気味な薬だったが、体が辛過ぎた為

薬を服用した。ものの30分で効果が出た。

 

熱は平熱以下に下がり、下痢はピタッと止まり、体中がヒヤッとして

奥底から力が漲って、異常なテンションの高さで授業を再開した。

 

あの薬はなんだったのか。今でもたまに元気がない時、オレンジと黒のシマシマを心のどこかで欲している自分がいる。

 

 

 

今日はやけに馴れ馴れしい。久しぶりの会話が嬉しかったのか。

校長「どうして体調を崩したのか」

 

私「社宅の給湯器が小さいので、毎日お風呂で大変な思いをしてます。」

 

校長「よし、給湯器を買い換えよう。今日はさぞかし体が疲れているから、うちでお風呂に入れば良い。」

 

魅力的な提案だった。

校長の家の浴槽はでかかった。日本のソレとは似ても似つかぬバケツなのだが

ただのバケツではなくあの青いポリバケツなのだ。

 

後にも先にもポリバケツにあれ程まで、羨望の眼差しを向けたことは無いだろう。

 

あたたかいお湯をポリバケツ一杯にためて、その中に腰まで体を沈める自分を想像し

 

「ポリバケツに入らせてください」と気付いたら呟いていた。

 

好きだと言われた男の家の風呂をノコノコと借りに行ったのだ。

節操の無い女だ。自分に呆れる。

 

風呂上がりにお酒や肉を振舞われ、

校長「仲直りできて嬉しい」とご機嫌だった。

まずい事になったと思った。

 

ポリバケツに魂を売ったがため、この男は今晩私と寝れると思っている様だ。

 

やんわりと断り、帰宅したいと申し出る。

 

校長「今日はもう遅いし、お風呂にも入ったし、このまま寝ていけば」

 

ふざけるなという感じだが、どうしても勝手に帰宅できない理由があった。

 

立ち上がると130cmくらいになる真っ黒なドーベルマンを校長は部屋の外で飼っていたのだ。

 

ドーベルマンは校長の指示しか従わない。

 

私のことを見ると喉が潰れてしまうのでは無いかとこちらが心配になるくらい、けたたましい声で吠えちぎるのだ。

 

その為、校長の庇護の下で外に出ない限り、「=死」が待ち受けている事になる。

 

必死で無い頭を振り絞り、「パンツにウンコがついているので今日は帰らせてくれ」と嘘をついた。

 

校長も「そうか」と承諾した。

 

流石にパンツにウンコがついている女は願い下げの様だ。

 

私の体はウンコによって守られたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(5)セクハラとパワハラにまみれた夜

私は人当たりの良い性格だ。

大抵の人間とすぐに打ち解けることができて、そこにお酒がある時は尚更だった。

下ネタを平気で話し、大口を開けてバカ笑いする自分の開けっぴろげた性格が嫌いでは無かった。

 

学生時代そういう女は大概モテ無いのだが、どうやら社会に出ると余程醜い容姿を持っていない限り、下ネタを話す女は性的な目で見られるらしい。

 

加えて、下ネタを会社では言ってはいけないという決まりが社会にはあるらしい。

 

始発まで阿保みたいに酒を飲んで、生殖器の名前を大声で連呼していた連中は、誰に教えられることもなく社会に出た翌日から、慎ましく上司に酒を注ぎ始めたと聞き、耳を疑った。

 

私にだけ、誰もそうしてはいけないと教えてくれなかった。

不幸なことに、社会に出る前に、インドに出てしまったためその影響力は絶大だった。

 

 

インドに赴任してから、会社内での飲み会に何度か参加した。

会社といっても、校長含めたインド人3人と心底嫌い女と私の5人だ。

後に分かるのだが、心底嫌い女と校長は結婚を前提に交際していた。

 

そんなこととは露知らず、例のごとく私は酒を浴びる様に飲み、下ネタに乗り、大口を開けて大笑いをしていた。

 

インドでは宗教上、婚前の性交渉はタブーだ。

その日の話題は、結婚後セックスの相性が悪いことが判明したらどうするのか、という内容だった。

 

入学を検討している生徒には、入学前に私がトライアルクラスでひらがなを教えていたこともあり

 

「トライアルクラスでセックスを教えたら入学希望者増えるんじゃ無いっすかねwwwww」と、

 

前任者の淫乱教師の愚行を暗に感じさせる、本当に品が無い低俗なジョークを飛ばしてやった。

酒もかなり入っていた為、場が異様に盛り上がった。

 

話を戻したい。

日中は授業に追われ、飲み会で下ネタを話すくらいしかこの1ヶ月社長との接点はなかったのだが、ここに来ての「一緒に飲みましょう」の誘いだった。

 

社長の家に到着すると、BBQの骨つきチキンやマトンケバブなどヨダレが出る料理が並んでいた。精神崩壊一歩手前の私にとって、ソレ等は目が眩む。

 

どうやら、淫乱教師の後釜として、生徒から何か嫌がらせを受けていないか心配して夕飯に招待してくれた様だ。

 

淫乱教師の影響といえば、配布された社用携帯が淫乱のお下がりだった為

生徒から「休みの日に、会いたいです」等のカワイイ連絡が入るくらいで、恐れていた様なことは何も起きていなかった。

 

淫乱と私との差は、容姿だ。

淫乱の顔は美しく、長くて緩やかなウェーブかかった髪を持っていた。

一方私は、ベリーショートで襟足を刈り上げた男の様な髪型をして、いつも大口を開けて笑っていた為、性的対象にはならなかった。

 

だがそれは、生徒に限ったことで、40代のインド人には私がドストライクだった様だ。

心底嫌い女と付き合っているという告白や、最近うまく行っていないという相談に始まり

私はカワイイ、もっとこういう服装をしたら似合うなどの賛辞を受けた。

 

終いには、「好きになってしまった」と告白を受けた。

 

誰も頼る人がいない異国の地で、ボスから告白を受けた場合なんと答えるのが正解だったのだろう。

性的対象として見られることに慣れていない私は、事もあろうか咄嗟に「ありがとうございます」と答えてしまった。

 

校長は満面の笑みで「知ってる」と答えた。

「東京で初めて会った時、改札を抜けてから振り向いて手を振ってくれたでしょ。あの時から両想いだって気付いていたんだよね。」

 

頭の中で警報が鳴り響いた。「キケン!!!ニゲテ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(4)兎に角運が無いハレンチな日本語教師

月末手渡し、初任給の日がやってきた。

 

目が回る様な忙しさで過ぎ去った1ヶ月目。

朝から晩まで授業、授業、授業。空いている時間に翌日の授業準備、テスト作成。

 

息も絶え絶え授業をこなし、ぼろ雑巾の様になっていた私は朝から浮き足立っていた。

 

不運にも当日は、最悪曜日と被ってしまった。

朝から晩まで引っ切り無しに授業を受け持っている悪魔の土曜日。

 

1コマ目を終えて職員室へ戻ると私の机の上に、無造作に置かれた給料袋を発見し、思わず飛びついた。

 

と同時に、1コマ目で一番熱心な学生が、質問があると私のデスクに近づいてきた。

今すぐ金を貪りたい衝動を抑え、教師の仮面を被り質問に丁寧に答えた。

 

その日はタイミングが悪く、熱心な学生の後にも

「授業料を払いたい」、「明日の授業を休むので宿題を印刷してほしい」等、

普段私に寄りつきもしない学生たちが引っ切り無しに訪ねてきた。

 

気付いたら、2コマ目が始まる時間になった。

2コマ目、3コマ目、4コマ目、運悪く全ての授業で月末テストを実施したため、時間内に解答出来なかった出来損ないの為に、休み時間を返上してテスト監督を強いられてしまった。

 

昼ご飯も食べずに、8時から18時まで教師であり続けた私は、

精根尽き果て給料袋のことはすっかり頭から抜け落ちてしまった。

 

家に帰り、給料袋を取り損ねたことを思い出したが「まあ明日確認すれば良いや」と

のん気にサンドイッチを作り始めた。

 

殻を破ると黄身と名乗るのがおこがましい、本当に肌色に近い黄身が殻にべったりとへばり付いている腐った卵でオムレツを作り

 

日光を全く浴びなかったであろう竹みたいな色をしたキュウリを分厚くスライスし

 

パサパサのパンにサンドして

 

インド人嗜好に合わせて作られたトウガラシが含まれた激辛のケチャップをかけて

 

感情の無い顔で咀嚼した。

 

1日何も口にしていなかった私にとっては御馳走だったが

90分4コマをやりきった土曜日に感想を言う体力も残されていなかった。

 

ふと、食べかけのサンドイッチに目をやると「ウニョウニョ」と動く白い物体が

分厚くきった竹キュウリから這い出てようとしていた。

 

「ヒッ!」小さな悲鳴を上げて、サンドイッチを投げ捨てた。 

2匹の小さな芋虫だった。

 

誰かにこの状況を共有し、一緒に嘆いてほしい一心で同居人の先輩教師に「い、い、芋虫が!!」と、すがるような気持ちで先輩の部屋のドアを叩き、健気に報告しに行った。

しかし先輩は、虫けらを見る様な目で「よくあるよ」と言い放ち、ドアは閉められ朝まで開くことは無かった。

本当に私はこの女のことが心底嫌いだった。

 

翌朝、給料袋を確認しに会社へ行くと、期待を裏切らず給料袋は消えていた。

複数の学生や掃除婦、電気配管の業者が出入りしていた昨日、犯人を特定することは容易なことでは無い。

 

今になって思うとなんであの時、校長に「どうして机に給料を置き去りにしたんだ!ふつう手渡しするだろ!」と文句を言っても良かったと思う。

 

然し、世間知らずで基本自責思考の私は「給料袋をカバンに入れなかった私が悪い。学校で問題にしたく無い。」と誰にも言うことが出来なかった。

 

その晩、家に帰る前に学生時代に貯めたわずかな貯金を引き出そうと、雨の中ATMに立ち寄った。

暗証番号を入力した瞬間、「ゔぁああ!!!!」と呻き声を上げた。

ATMの機械が故障して、放電中の数字盤に濡れた指先で触れた為、感電してしまったのだ。

「痛い、痛い。。。。」と連呼しながら指先を何度も舐めて、ATMを後にした。

 

ボロ雑巾の様に朝から晩まで働き、芋虫を食べた上に、初任給を盗まれて、貯金を切り崩すために感電死しそうになった私の精神状態は崩壊寸前だった。

 

 

そんな時に、携帯電話に社長から連絡が入る。

「授業のことで相談したいことがあるので、今晩はうちで一緒に夕食を食べましょう。」

まともな物を食べていなかった私は、おめおめと社長の家に歩みを進めていた。

 

 

 

竹キュウリを買った八百屋 

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(3)ハレンチな日本語教師、デビュー

「少数精鋭」「裁量権がある」

耳心地の良いワードだが新卒には地獄だ。

 

私の赴任した学校は、生徒が100名以上いるにも関らず教師が私含めて2名しか居なかった。

人手が足りないと聞きやって来たのだが、前任者が緊急ハレンチ帰国をした為

私が来てもやっぱり人出不足だった。

 

赴任後、2日後には授業が始まる。先輩教師からは「みんなの日本語第5課まで終っているので、第6課から好きにやって良いから」とみんなの日本語を渡された。

 

何の引継ぎも受けず、無情にも2日はあっという間に過ぎ去り当日の朝がやって来た。

朝6時には学校に到着し、幾度となくくり返したリハーサルをもう一度だけやる為、誰もいない教室で朝6時から一人芝居を開始した。

 

ホワイトボードの半面まで埋まった所で、文字を消そうとして気付いた。油性ペンで書いていたことを。どうやらバカなインド人が、油性ペンを間違えてセットしていた様だ。死んでくれ。

早起きして、リハーサルをするつもりが汗だくになりながら30分かけて油性ペンを消しゴムで消す羽目になった。

 

「海外の消しゴムは消しずらいので日本製の消しゴムを持って行った方が良い」と聞いていたので、1年使っても無くならないような特大MONO消しゴムを持って行ったこと、そしてその助言をしてくれた友人に心底感謝した。

1年は使えるはずだった消しゴムだが、デビュー前に半分はカスになった。

 

そしていよいよ、デビュー戦が始まる。

元気ハツラツ、性のにおいを感じさせない爽やかな語り口調で自己紹介をおこなう。

生徒の懐疑的な眼差しに気付かないふりをして、授業を開始する。

生憎私は最初に生徒の心を掴む様な話術も余裕も持ち合わせていない。

 

みんなの日本語第6課」の目玉文法は

誘いQA「いっしょに○○しませんか?」→「ええ、良いですね。」「すみません、ちょっと・・」である。

 

設定はバー。グラスを片手にお酒を飲むふりをするわたし。

そして、すぐにイケメン(向井理)の仮面をつけて声高らかに叫ぶ。

おさむ「一緒にお酒を飲みませんか?」

仮面を外した私「ええ、良いですね。」

 

続いて、キモオタの写真をつけて声高らかに叫ぶ。

キモオタ「一緒にお酒を飲みませんか?」

仮面を外した私「すみません、ちょっと・・・。」

 

席に座った30人のインド人全員が「キョトン!!!!」という顔をして私を見ていた。

日本人が死ぬまでに、インド人に「キョトン」される回数の平均値を底上げした瞬間だろう。

 

私は向井理が好きだし、バーでおさむに「一緒にお酒を飲みませんか?」などと聞かれた日には全日本人女子が手放しで受け入れるだろう。

そしてキモオタに誘われるのはキモい。「すみません、ちょっと・・」と言うのがごく自然の流れである。

 

しかし、インド人は向井理なんて知らないし。キモオタのことを下手したらカッコいいと思うかもしれない。そう言う基本的な美の価値観を理解しないまま、教壇にたってしまった私に不信感を募らせた生徒は多かった様で、デビュー初日に「あの先生の言っていることが理解できません」と校長室にクレームを入れる生徒が後を絶たなかった。。

 

職員室で項垂れ、涙をこらえるわたし。

涙を拭きにトイレに向かうと、廊下で生徒に腕を掴まれる、ひとこと。

「一緒にお酒を飲みませんか?」ニヤニヤ

 

そうだ、私は淫乱女教師の後釜だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

(2)ハレンチな日本語教師、海を渡る

機内に入ると、スパイスと独特の香ばしい体臭が混ざり合った臭いが鼻を突いた。

先程出国手続きを終えたばかりだが、ワキガのインド人が10人集まれば嗅覚だけでインドへ入国した様な気分を味わえるらしい。

 

本当はANAJAL、乗継便でも良いのでシンガポール航空で赴任したかったのだが

校長から「最安値、最短の航空券を選択すること」とお達しがあったため、インドの国営航空会社Air Indiaを選択する羽目になった。

 

このAir Indiaは、過去に機内食にゴキブリが混入していた事で乗客がパニックになり、CAに対して機内食を投げ付ける騒ぎを起こしたことがある最低の航空会社だ。

遅延は当たり前、座席も狭く、CAは腹の出た年増女。その年増が腹を出してサリーを着ているものだから、手荷物を頭上荷物入れに収納する際に汗でネチネチした肉饅頭で私の頬を圧迫したことがあった。

 

そんな思い二度としたくないとおもい、今回は事前に中央座席を予約していた。

意気揚々と席に向かうと、私の座席左右には、どうやったらそんなに太れるのかと聞きたくなる様な肥満の40代男性2名が無理矢理肉饅頭を座席に詰めこみ、大人しく着席していた。

 

どうやら私の空の旅に肉饅頭はつきものらしい。

 

最悪なことに、右の肉饅頭が尋常ではないワキガ臭を患っていた為、9時間ずっと口呼吸を強いられた。

 

インド空港に到着すると、校長が待ちかまえていた。

社宅へと向かう車内で告げられた衝撃の事実。

赴任2週間前に女性教師の1名が生徒と恋愛関係にあり、退職したことは知らされていたのだが詳細がえげつないものだった。

・社宅のベランダで青姦、喘ぎ声が大きすぎて住民に見られて大騒ぎ

・教室で生徒カップルとスワッピング

・妊娠疑惑で緊急帰国

私はそのハレンチ教師の後任としてどうやらこの学校での新生活をスタートするらしい。

 

そして、新・社宅ルールが制定されていた。

・基本門限19時

・19時以降外出する場合は、誰とどこに行くかを校長に申請

・申請した場合でも21時が最終門限

 

私は日中、淫乱教師の後釜として性の対象として見られながら教鞭を執り

夜は聖女の様に家に身を潜めることになったのだ。

 

窓から吹き込む熱風で干物の様な形相で話を聞きながら

ワキガ饅頭によって9時間口呼吸を強いられた私は

そんなことより一刻も早く水が飲みたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(1)ハレンチな日本語教師が海を渡るきっかけ

日本語教師を志したのは、学生時代に途上国の孤児院で障害を持った子ども達に

日本語を教えるボランティアに半年間参加したことがきっかけだ。

プロフェッショナルとして世界中で日本語を教えたいという

至極真っ当な、なんとも学生らしい青くさい始まりだった。

 

偉そうな事を言っているが、結局は己の酒癖の悪さに足をすくわれ

インド人校長に身体を弄られた挙げ句、借金を背負い半年で日本に逃げ帰って来た。

そんな墓場まで持っていくべき話を、盛大に盛りながら来世に残そうとブログを開設した。

 

インド人校長との出会いは、日本語教師募集の掲示板だった。

新卒日本語教師を採用してくれる学校は稀で、手当たり次第に履歴書を出し、初めて「会いましょう」と返事を貰えたのが、このインド人校長が運営する学校だった。

 

「来週は日本出張なので、ここに来て下さい」と校長が宿泊する都内ホテルの住所が送られて来た。若干の違和感をのみ込み、指定されたホテルの喫茶店で初対面を果たす。

 

たどたどしい日本語で出張スケジュールの関係で面接場所がホテルになってしまったことの謝罪を受け、当初感じていた違和感はいらぬ心配だったと胸をなでおろす。

 

少し会話すると「採用です。書類の説明をしたいので私の部屋に来て下さい」といわれる。いくら昼間とはいえ、初対面のインド人の部屋に上がりこむのは気が引けたが、大学生4年生の12月で就職が決まっていないという危機的状況が正常な判断力を鈍らせ、言われるがままに部屋に入ってしまった。

 

結論何も無かったのだが。本当に書類の説明を受けただけだった。

「赴任時の航空券代は会社が負担する事。

 勤続2年目から一時帰国の航空券を会社が購入してくれる事。

 社宅があり、赴任後は30前後の女性教師2名と一緒に暮らすことになる事。」

耳では生活一般的な話を聞き流し、TOEIC 700点の中途半端な英語力をフル稼働させて英語で書かれた雇用契約を読み込む慌しい時間となった。

 

気になる文言を見つける。

「契約期間は3年。3年以内に自己都合で退職した場合は、月収×24ヶ月分ペナルティを支払う事。」とある。

勿論3年以上就業する気はあるのだが、仮に怪我や病気で止む無しで退職するときも支払い義務は発生するのかと校長に問う。

校長は「この文言は気にしないでください!仮に貴方が犯罪を犯す様な最低な行為をして学校に損害をもたらした時以外は請求しませんので」とのこと。

 

「だったらそう契約書にも追記してください」とアラサーになった今ならば言えるのだが、当時の私は「そうかそうか。なら安心だ。」と何の疑問も持たずに後日契約書に署名をしてしまうのだった。

 

ホテルでの逢瀬を終え、最寄駅へと向かう。

校長「私の学校は設立間もない小さな学校ですが、これから一緒に大きくしていきましょう!」 改札前で大きく握手をし、別れを告げる。

私は日本人として当たり前の行動を取ったまでなのだが、改札を通ってから再度振り向いて大きく会釈、そして軽く手を振ってホームへと消えていった。

これが後々誤解を招く禍根とは知らずに。