酒癖悪美の酒の失態集

インドで3年働いた体験を盛大に盛りながら綴ります。

(14) バースデーゲロ

インドで転職面接が始まった。


そんなにインドがいやなら日本へさっさと帰れよという話なのだが

親の反対を押し切り、友人に盛大に見送られてこの国で働き始めた手前

半年で帰国するということは

どんぐりの様に低い私のプライドでも、どうしても許せなかった。



日本語教師として他の学校に転職するという選択肢もあったが、雇用契約書の中に

「雇用終了後、A社(私の勤める学校)が行う事業に関連する業界へインド国内転職した場合、給料24か月分の違約金を請求する。」という文言もあり、インド国内で日本語教師を続ける道は閉ざされていた。



(今思うと甚だおかしい)




日本語教師を夢見て大学時代に資格を取得したものの、志半ばにたった半年でその道を諦め

よくわからない在インド日系企業の面接を受け始めた。


そして、よくわからないのだが軒並み全ての会社で採用された。


この在インド日系企業という社会では、若くて愛想が良ければ

こちらが選好みしない限り、知性を問われること無く働き口が容易に見つかるらしい。



3,4社から採用通知を貰い、浮かれていた私は面接前夜に酒を飲みに出かけた。

その日は私の24歳の誕生日だった。


私の友人の同級生がインドで宿を経営しているということで紹介を受けていたため

外泊届けを提出し、その日はその宿に宿泊することにしていた。


その晩、旧市街の裏道にひっそりとあるその日本人宿で

10名以上の日本人旅行者と夕食を共にすることになった。


インドで起こるありとあらゆることに疲弊しきっていた私に反して

彼らはインドで起こる全ての出来事に興奮しきっていた。



スクーターで世界一周中の東京大学の学生にも出会った。


砂漠の真ん中でタイヤがパンクした話や、イスラム圏で野宿した話など


世界一周中、泊まる宿泊まる宿で出会った日本人に語り尽くしてきた武勇伝を一通り披露した後、


「スクーターに乗りながらマスクをしているんだけど、中国と比較してインドのほうがマスクが早く黒くなる、やっぱりインドはすごいや」


という話を目を輝かせながら皆に話していた。


何がすごいのだろう。それを大気汚染と言うのではないか。私は彼の肺とインドでおかしくなった知性が心配でたまらなかった。



だが、「世界一周中の東大生」が認めた「インド」に

今この瞬間存在している自分自身に、旅人達は酔いしれながら、彼の軽快な語り口調に夢中になって聞きいっていた。



そこに宿泊する日本人は、色とりどりのターバンやスカーフを身につけていた。


髪をドレッドの様に編んだり、二の腕にヘナで描いたタトゥーを露出するタンクトップを着たり

浮浪者が着るようなボロボロのカーキー色したTシャツを誇らしげに着たりしていた。



私のスカーフはとても中途半端でここでも色あせて見えた。



ふと、「一人旅ですか?」と聞かれた。


「インドで働いているんです」と応えた。


その瞬間、その場に居る全ての人間の注目が私に集まった。


「こいつは一体なんなんだ。」

「インドに人が住めるのか。」


好奇の目と、何から聞いたらいいか分からないけれども、何とかしてこの女に話をさせたいという顔が向けられた。


私の日常を話すと、彼らは嬉々として耳を傾けた。





私の日常(野良犬を撫でたり、鳩の交尾場所を提供したり、校長に言い寄られたり)が、彼らのご馳走になったようだ。


真剣に耳を傾けてくれるので、私も満更では無い顔で演説した。


きっと彼らは次の宿へ行き、自分の武勇伝の一環として「インドで出会った変な女」の話を、一山も二山も盛って、語るのだろう。


そこで私は、インド人と野良犬と3Pしたという話に書き換えられていてもおかしくない。




お金の無い私たちは、酒屋で買ったインド原産の安いウイスキーでひとしきり酔っ払った。


750ml5600円位のウイスキーは飲むと喉の奥で血の味がした。


22時ごろ、「明日は面接だから寝ないと」と思った頃には、頭をハンマーで何度も何度も殴られているような激痛がこめかみの辺りを占拠していた。


翌朝、ひどい二日酔いで目を覚ました。


面接会場へ向かう電車の中で、激しい吐き気が襲う。


「グッッフォ」一度喉まで来たものを飲み込むも、電車の揺れに耐えきれず持っていたビニール袋にゲロを勢いよく吐きだし、へなへなとその場に座り込んでしまった。


車内は騒然となった。


女性専用車両で急に外国人がゲロを吐いて、座り込んだのだ。


誰かが「エマージェンシー」とけたたましい声で叫び、純粋無垢なインド人女性は私に水やタオル、薬を差し出してくれた。


背中をさすりながら「大丈夫!!」と励ましてくれる。


「サンキュー。。。」と心もとない声でお礼を言うのだが、当の本人はゲロを吐いたからそれはそれはスッキリしていた。



インド人女性は殆ど酒を飲まない。彼女たちを、金曜終電の山手線にぶち込んだら、全員が訳もわからずマザーテレサになるだろう。


スーツを着た男達が、車内のあちらこちらで急にゲロを吐いて倒れたり寝たり泣き出したりするのだがら、新種の感染症とでも思うのだろうか。


日本では、電車でゲロを吐く奴=ゴミなのに。


次の駅で電車を降ろされると、車椅子を持った駅員が待機していた。


散々これまでインド人を馬鹿にしていたが、こんな連携プレーができる連中だとは思っていなかった。心底見直した瞬間だった。


大学時代、二日酔いで京都駅のホームで倒れ、駅員が駆け寄って来たときに

「すいません、、、二日酔いなんです。。」

と答えた時に、ゴミを見る様な目で睨まれた経験を生かし、ここでは順々な病人らしく車椅子に乗せられた。


救護室目前で、「Im getting better....

良くなってきたわ。」


と、頼りなく立ち上がり、病院へ連れて行かれる前にその場から逃げ出した。


面接を受ける会社に到着し、トイレで2回用を(ゲロ)を足してから面接を受け、運良く採用された。


運が回り始めているのを感じた。