(1)ハレンチな日本語教師が海を渡るきっかけ
日本語教師を志したのは、学生時代に途上国の孤児院で障害を持った子ども達に
日本語を教えるボランティアに半年間参加したことがきっかけだ。
プロフェッショナルとして世界中で日本語を教えたいという
至極真っ当な、なんとも学生らしい青くさい始まりだった。
偉そうな事を言っているが、結局は己の酒癖の悪さに足をすくわれ
インド人校長に身体を弄られた挙げ句、借金を背負い半年で日本に逃げ帰って来た。
そんな墓場まで持っていくべき話を、盛大に盛りながら来世に残そうとブログを開設した。
新卒日本語教師を採用してくれる学校は稀で、手当たり次第に履歴書を出し、初めて「会いましょう」と返事を貰えたのが、このインド人校長が運営する学校だった。
「来週は日本出張なので、ここに来て下さい」と校長が宿泊する都内ホテルの住所が送られて来た。若干の違和感をのみ込み、指定されたホテルの喫茶店で初対面を果たす。
たどたどしい日本語で出張スケジュールの関係で面接場所がホテルになってしまったことの謝罪を受け、当初感じていた違和感はいらぬ心配だったと胸をなでおろす。
少し会話すると「採用です。書類の説明をしたいので私の部屋に来て下さい」といわれる。いくら昼間とはいえ、初対面のインド人の部屋に上がりこむのは気が引けたが、大学生4年生の12月で就職が決まっていないという危機的状況が正常な判断力を鈍らせ、言われるがままに部屋に入ってしまった。
結論何も無かったのだが。本当に書類の説明を受けただけだった。
「赴任時の航空券代は会社が負担する事。
勤続2年目から一時帰国の航空券を会社が購入してくれる事。
社宅があり、赴任後は30前後の女性教師2名と一緒に暮らすことになる事。」
耳では生活一般的な話を聞き流し、TOEIC 700点の中途半端な英語力をフル稼働させて英語で書かれた雇用契約を読み込む慌しい時間となった。
気になる文言を見つける。
「契約期間は3年。3年以内に自己都合で退職した場合は、月収×24ヶ月分ペナルティを支払う事。」とある。
勿論3年以上就業する気はあるのだが、仮に怪我や病気で止む無しで退職するときも支払い義務は発生するのかと校長に問う。
校長は「この文言は気にしないでください!仮に貴方が犯罪を犯す様な最低な行為をして学校に損害をもたらした時以外は請求しませんので」とのこと。
「だったらそう契約書にも追記してください」とアラサーになった今ならば言えるのだが、当時の私は「そうかそうか。なら安心だ。」と何の疑問も持たずに後日契約書に署名をしてしまうのだった。
ホテルでの逢瀬を終え、最寄駅へと向かう。
校長「私の学校は設立間もない小さな学校ですが、これから一緒に大きくしていきましょう!」 改札前で大きく握手をし、別れを告げる。
私は日本人として当たり前の行動を取ったまでなのだが、改札を通ってから再度振り向いて大きく会釈、そして軽く手を振ってホームへと消えていった。
これが後々誤解を招く禍根とは知らずに。